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観劇日誌:劇団enji 『Be My Baby』

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2018年4月18日(水)

重たい芝居は感想を書くのも体力いるんで、upまでについつい時間がかかってしまいます。
で、時間がかかると、いろいろ思うことが増えてきて、どんどん長くなっていきます。
となると、upするのも、さらに遅くなっていきます。
が、そんなことを言ってると、いつまで経っても終わらないので、今日、仕上げたいと思います。

   *   *   *   *   *

このところ何回か観ているenjiさん、今回もスーさんこと鈴木浩之さんが出演されているので、去る6日(金)に観てきました。
(ずいぶん経っちゃったな〜f^_^;)

劇団enji 『Be My Baby』
作・演出:谷藤太
於:吉祥寺シアター(吉祥寺)

       *   *   *

座席について、まず思ったこと。

セットがデカイ

中央に石段。この存在が圧倒的。
登って上手寄りに鳥居。これもデカイ。
そのさらに上手には社があると思われるものの、地階から生えている木(これもデカイ)に遮られている格好。
上手端に産婦人科の看板がかかっており、袖の向こうに病院がある体。
下手側には団子屋。手前に緋色の毛氈を敷いた床几(縁台)、端にはタヌキ(雌雄)の置き物。

前回「イタイ☆ホテル」を観たときは、舞台がむしろ低く切り取られている印象だったので、さほど広いと感じなかったのですが、この空間をタッパいっぱい埋めるのはホントに大変だなと、ポケ〜ッと口を開けて眺めておりました。

当パンには「〜舞台が組まれる、といきたいが、勝手には組んでくれないので自分たちでフラフラになって組む」との文。
終演後にはスーさんも腰をさすりさすり「もう、ヘトヘトだよ。アレをまたバラスんだぜ」と苦笑い。

       *   *   *

以降、どちらかと言えば「感想を聞かせろ」という方々向けに書いている関係上ネタバレがあるので、「再演を観たいから、ストーリーもオチも知りたくない」という方はご遠慮くださいm(_ _)m

             

では。

Babyときて、神社があって、病院があれば、何となく妊娠・出産の話かなと想像がつくわけですが、しかし、ふんわりほんわかとは観させてくれません。

のっけから不妊で悩む夫婦のイザコザ。

一方では、ワケありっぽい妊婦が出産間近のお腹を抱えてヤケクソ気味に石段を上り下り。

ああ、要するに、望んで授からない夫婦と、望まずにデキちゃった母親の構図ね…

と早合点していたら、それでは終わらないのがenjiさんの芝居、

この両者を「特別養子縁組」で結んじゃおうってんだから、何ともエグイ

つまり、「手放す」側と「受け取る」側にしちゃうわけで、しかも両者を早々に引き合わせちゃうんだから、これってけっこうな修羅場。

いや、実にエグイッ

…ここまで追い込まなきゃいけないのか。

素直に関心しました。

非現実的で極端な設定を作らなくても、
これほど日常的な、そこの角を曲がったら出くわしそうな空間のなかで、
これだけ究極の選択を強いるような状況が生み出されるんだな、と。

       *   *   *

しかし、ですね。

設定はスゴいと思ったんですが、序盤から中盤にかけて、どうにもおもしろくない。

なんだろう、このeccentricな登場人物たちは。
一方では、まるで「ピーターパン」でも演ってるかのように、ふわふわ宙に浮かんでる感じの人たちがいて、
他方では、コミカルにやろうとしているのか、でも逆に力んじゃってる人たちがいて。

何のために、この日常的な空間が用意されているのか
あるいは、演出家さんに「テーマが重いから、演技は深刻にならないように」なんて言われて、こうなっちゃったのかな

もっと、肩の力を抜いて演ればいいのに。

私は稽古場で問題が生じると、つい本を直したくなって(=本で解決したくなって)、でも、いつか読んだ「それは演出の仕事ではない。本を直したいなら脚本家になれ」という言葉を思い出して、「ダメだ、稽古場で解決しなきゃ」なんて思い返すんですが、

いや、これは本のせいじゃない。

う〜ん、役者さんたち、消化できてないのかな

なかでも一番気になったのが、主役の団子屋の奥さん(主役だと思うんですけど)、こんないい役なのに、なんでそんな、脇っぽい、影の薄い芝居をするんだろう…。

私に言わせれば、主役というのは、その物語のなかで最も成長する人、変化する人であって、たとえ名台詞や決め台詞がなくたって、周囲の色と輝きを吸収して自分がカラフルに輝けばいいと思うんですけど…、

人を輝かせるシーンはあっても、自分が光らない。
自分の成長を噛みしめてほしかったな…
いや、自分が主役だと思ってないんだろうな、きっと。

半面、一歩一歩踏みしめながら忍耐強く前に進む団子屋のご主人と、ヒタリヒタリと内省を続ける妊婦さんとに、私は共感を持ちました。
(しかし、この2人は主役じゃないと、私は強く思うわけですが)

       *   *   *

てな感じでですね、ブツブツ(心の中で)文句を言いながら、観たり俯いたりしてたんですが…、

でもね、やっぱり最後は、もっていくわけです。

今回は2段構え、いや3段構えとでも言いましょうか。

その1 妊婦さん
子を手放すと決めた彼女、お腹の子を愛さないように、感情を持たないようにと、努めて心を空っぽにします。
しかし、予定日を過ぎても、赤ちゃんは生まれてこない。

そんなとき、団子屋の奥さん(以下、略して「団子奥さん」)に言われます。

「生まれる側の気持ちになってみて」

赤ちゃんは、どんなときに「生まれたいっ」と思うのか

そして妊婦さんは、団子奥さんに促されて石段をゆっくり登りながら、胎児と過ごした十月十日(余)を回想し、「産む者」のみが知ることのできる幸福を体験し、生まれ来る者に対して、ついに、こう語りかけるのです。

「出ておいで〜

その2 団子屋のご主人
子どもを受け取る当日、いまだに詰問する義父に、ご主人がこれまでの葛藤を吐露します。

もらうと決めた後も、心が揺れ続けたこと、そして、
前日、病院で赤ん坊と面会し、初めて決心がついたこと。

そのときの様子を、ご主人は語ります。

…顔を見たとたん、彼女(団子奥さん)が、「あ、この子だ」って言ったんです。
実は僕も、「ああ、この子だ」って思いました。
そして理解したんです。
僕たちに子どもができなかったのは、この子に出逢うためだったんだと。

そして、その場に膝を折り、地に額を擦り付けんばかりに深々と頭を垂れるのです。

お義父さん、どうか、この養子縁組を認めてくださいm(_ _)m

       *   *   *

ああ、これがあったのか。
作家さんは、このシーンを用意していたんだ。

このシーンに辿り着くのだという<目的の地>があるからこそ、この物語は前に進むことができるんだ、

と(勝手に、ですが)とても納得しました。

       *   *   *

そして、
その3 妊婦さん再び(ホントは団子奥さんと言いたい
赤ん坊を迎え、大賑わいの団子屋夫婦&奥さんの両親、
一方の(元)妊婦さんは両親に付き添われて退院。

が、ほんの一瞬の隙をついて、(元)妊婦さんは団子屋に忍び込み、赤ん坊のベッドへ。
出て来るときには、ボストンバッグを縦に抱え、まるで中に何かが入っているような…

直後に、「赤ちゃんがいないっ」の声、そしてパニック。
しかし、赤ちゃんは無事で、実はあんなに文句を言っていた義父が抱いてあやしていただけでした。

もちろん、これは見え透いたフェイント。
「生まれる側」の目線を手にした(元)妊婦さんに、その行動はありえない。

では、彼女は赤ん坊のベッドで何をしていたのか
(言い換えると、何のために、このフェイントを入れているのか

看護師が一通の手紙に気づき、読み上げます。
それは、(元)妊婦さんが団子屋夫婦に託した、子どもへの言葉。

当然じゃないですか。
繰り返しますが、彼女はすでに「生まれる側」の目線を手にしたのです。
ならば、この子が将来、何に直面するか、どんな苦しみを味わうのか、そして、それを乗り越えるためには何が必要かと、必ず想いが及ぶはずなんです。

だからこそ、彼女は手紙を書いたのです。
自分のためではなく、この子のために。

とても納得しました。
たしかにそうだ、と私も思いました。


でもね〜


これで終わっていいのか


否、と私は主張したい。

これじゃ、団子奥さんは母親になれないですよ。

       *   *   *

もう一度、手紙を読むシーンを振り返りましょう。

中央に看護師、石段に座って手紙を読む。
上手の木の陰には逃げそびれた(元)妊婦さん、様子を見守る。

私としては、ここで是非とも団子奥さんにフィーチャーしてほしかった。

たとえば、ですよ、超ベタかもしれませんが、

団子奥さん、看護師のやや下手に立ち、手紙を読む看護師を見つめる。
(=団子奥さんから(元)妊婦さんは見えていないけど、観客からは両者が対峙しているように見える)

手紙の意味を理解した団子奥さん、看護師の手からそっと手紙をとり、続きを朗読する。

読みながら静かに跪き、読み終えると手紙を胸に抱き、深く深く頭を垂れる。

このすべてを引き受けました、と。

…つまりですね、この手紙は2人の母親の「引き継ぎの儀式」のための道具であって、
このシーンは、産みの母が子と離別する儀式であると同時に、
その産みの母の想いをたしかに引き受け、すべてを背負う覚悟を持つための、
いわば、育ての母が「母」になるための儀式でもある(むしろ、主題から言えば、そちらがメインな)わけです。

顔を上げ、ゆっくり立ち上がった団子奥さんの表情は、見違えるほどに輝いています。
まるで、十月十日を胎児と過ごし、腹を痛めて産んだという自信と幸福感を手に入れたかのよう。

そう、とっても大事なポイントなんですが、子を産み終えた母親は、自信と達成感に満ちあふれ、輝いているんですよ。
それを彼女は継承しなければならない、母となる以上は。

そして赤ん坊の元気な泣き声、

駆け寄る人々、堂々と赤ん坊を抱く団子奥さん、静かに去っていく(元)妊婦さん。


…だってね、これは(少なくとも、その主題は)、

「産んだ女が、母をやめる」話でもなければ、
「産めない女の夫が、父になる」話でもなく、

どう考えても、やっぱり、

産めない女が、母になる」物語なんだから。


ああ、やっと終わりましたm(_ _)m


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