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アニメ師・杉井ギサブロー 今度こそ

20120805ギサブロー

2012年8月5日(日)

というわけで、昨日の続き…といいますか、今日こそ本題に入りましょう。

     *   *   *   *   *

杉井ギサブローといえば、知っている人は誰でも知っている、知らない人でも『鉄腕アトム』『タッチ』『銀河鉄道の夜』などの作品名は知っているという意味で、日本を代表するアニメーター(アニメ師)の一人です。

また、現在は再び宮沢賢治作品に挑戦した『グスコーブドリの伝記』が公開されていることもあり、その監督としても注目されていますね。

この映画は、その杉井氏へのインタビューによって氏の人となり、成し遂げてきた仕事を紹介しつつ、『白蛇伝』(以前)から今日までの戦後日本アニメーション史をたどるという趣向です。

他にも多数のアニメーション関係者——手塚治虫(生前のインタビュー映像)、大塚康生りんたろう高橋良輔から、江口摩吏介阿部行夫などなど——が杉井氏を語りながらも当時のアニメーション業界をつぶさに紹介しており、いわばクリエーターから見た日本アニメーション史になっています。

     *   *   *   *   *

で、感想ですが、何といいますか、とても、ざっくりしているんですよね、全体に。

これといって、杉井氏の深層に斬り込んでいくとか、氏の創造の源泉を探し当てるとか、石岡正人監督による「杉井ギサブローって男は、こんな奴だっ」的な分析なり「オレはこう見るっ」的な主張なりも、あまりない感じ。

ただただ、杉井氏が飄々と語るがままに語らせている印象です。

なぜ「杉井ギサブロー」を撮ったのかと聞かれたら、監督、

いやぁ、杉井さんとお知り合いになりまして、いろいろお話してたら、な〜んか、この人、おっもしれ〜人だなぁって。

ええ…。

…それで。

…。

なんて答えるんじゃないかと空想しちゃうような、そんな感じ。

また、アニメーション史にしても、1本の線を通そうという意図がまるで感じられない。

例えば、技術史、社会史、文化史といった視角や枠組みを用意して、1本の流れのなかに各作品を配置し、その変遷を意味づけていくような、評論家ならばおそらくやるだろうと思われることが、本作品からは読み取れません。

あくまで、杉井氏が携わった作品のうち、杉井氏や関係者がたくさんしゃべった(?)ものを取り上げているような…。

たまたま、杉井氏とその関係者が日本アニメーション史を背負ってきた(背負っている)人たちなので、彼らの記憶に残る作品を並べていくだけでも、日本アニメーション史の本筋からさほど逸れることなく、読み取ることのできる人たちには技術的変遷や文化的背景を読み取ることもでき、したがって「戦後日本のアニメーション史そのものを見ることができる」(映画『プログラム』より)ということもできなくはない。

もしかすると、石岡監督が客員教授を務める京都精華大学マンガ学部アニメーション学科のオリエンテーションで、未来のクリエーターたちに向けて「戦後日本アニメーション史をざっくりおさらいしよう」なんて授業をやるときには、最適の教材になるかもしれません。

     *   *   *   *   *

では、それが詰まらなかったか、不愉快だったか、と問われると…


私はけっこう面白かったし、何より、90分見ていて、心地よかったです。


一見、ぬるいようにも感じられる石岡氏の対象者へのアプローチについて、増當竜也氏は「“言論の自由”と称して他人の家に土足で踏み込みがちなドキュメンタリー制作の罠に対するアンチテーゼ」と位置づけられうるとしつつ、しかしそれ以上に「杉井監督に対する石岡監督のリスペクト」と解釈しています(『プログラム』より)。

なるほど、そうか。と思いました。
私が心地よかったのは、この観察者と被観察者との間の距離感なのだと。

私は脚本を書くときに「です・ます調」の台詞を多用しますが、その一つの理由は人物間の「距離」を作り出したいから。

「です・ます調」で話すということは、一定の(けっこう強い)社会的ルールに従うことを約束するという意思表示であり、その制約下では、一定レベルを超える感情表現は禁忌・抑制されます。

しかし、爆発しそうな感情を抑え込もうとするからこそ伝わってくる感情があり、また間合いがあるからこそ、その禁忌を破る——間合いを詰めて相手の懐に一気に跳び込む——瞬間が鮮やかに弾けて、美しい。

そんな好みをもつ私にとって、無警戒あるいは暴力的に懐に踏み込んでいく作品はどうも落ち着かず、この作品のように「距離」をつくって「優しい緊張感」を生み出しているほうが、心地いいんだろうなぁ、と自己分析してしまいました。

また、アニメーション史のほうは、なにせ私が素人ですので、むしろ入門レベルとしては、ほどよいかも。

ファンやその分野を勉強している方々にとっては、ちょっと物足りないかもしれませんが、ある老業師(ワザシ)の、業師としての、あり方居ずまいは、よく伝わってきます。

そして、作り手として、あるいは受け手として、未来のジャパニメーションを支える人々には、そうした静かで確かなプロフェッショナリズムを感じるほうが、専門的な技法その他もろもろの固有名詞を覚えるよりも、はるかに重要だと思ってほしい、という気も(かなり勝手ですが)します。

彼らの権利や待遇、彼らが生み出すものへの敬意の問題を考えれば、なおのこと、そう思います。文化・知的生産物を無償・安価で消費するというのは、けっこう危険な行為でして、直接(=料金)であれ間接(=税金など)であれ、一定の対価を支払っていかないと、創造活動自体がやせ細っていきます。アニメーションの場合、クリエーターと消費者の間にテレビ局や映画会社が入り、さらに難しくなります。このお話、「縁つきエッジワースボックス」という経済学のツールを使うと、うまく説明できるのですが、長くなるので、またいずれ。

     *   *   *   *   *

13:40
見終わったとき、気分がとても落ち着いていて、地上に出ると、銀座の街の喧噪がいくらか静かになったような、そんな気分になりました(たんに、一雨あったせいかもしれませんが)。

ま、それはともかく、


このジイさん、カッコいいよ。


と思わせることが制作者の狙いならば、私はまさにそのように感じました。

     *   *   *   *   *

ささっ、これで予習も万端
こんな日でなきゃできない、ハシゴといきますか、ハシゴ。
映画館のハシゴなんて、もう何十年ぶりの至福でしょうか。

え、向かう先

もちろん、来た道を戻って、有楽町は丸の内ピカデリー

グスコーブドリの伝記(宮沢賢治原作、杉井ギサブロー監督・脚本)

ノルウェーの森』や『春の雪』(豊穣の海)もそうでしたが、思い入れのある文学作品の映画化というのは、自分のイメージが壊されることもあって、おっかなくって観に行けない(だから、両方とも観てません)のですが(かつ『ブドリ』も、「原作無視」だの「ネリと再会しないのは〜」だのと恐ろしいコメントが飛び交ってますし)…

いいや、いいや、今のこの心境なら大丈夫。

ゆこう マリオンへ

…到着。

<上演時間>
10:10~12:10
12:25~14:25


現在、14:00

ふへ




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