
2012年7月24日(火)
あ、その「体験」というので思い出したのですが…
というお話の続き。
桂川潤『本は物であるー―装丁という仕事』新曜社、2010年10月28日、2400円
桂川さんは、私も何度かお世話になっている装丁家さんなのですが、書籍の電子化が進む時流の中で「紙の本」の大切さを主張する立場に立ち、とくにその一つの論拠として、読書の「
身体性」という点から鋭い問題提起をされています。
* * * * *せっかくなので、本書の紹介を。
第2章「本づくりの現場から」は、装丁という仕事、あるいは装丁家という職業を紹介するという趣。
ご自身が手がけられた『吉村昭歴史小説集成』を実例に、印刷所や製函所、製本所など突撃取材(?)しながら製作過程をたどっていきます。
造本の基礎知識が平易に解説されており、それがまた、いかにも桂川さんらしい行き届いた説明で、かつ写真&図版も抱負で分かりやすい。
私はこういうのを読むのが大好きですし、若手にもよい勉強になるので勧めたりします。
第3章以降は桂川さんの半生というか、修業時代を含めた装丁家人生を振り返り、忘れ得ぬ人々との忘れ得ぬ仕事を語っているのですが、こちらも業界の人間としてはいろいろ考えさせられますが、そうでなくても本が好きな人ならたっぷり楽しめる内容です。
* * * * *で、「
身体性」の話。これが第1章(と「あとがき」)に書かれていて、ボリュームは少ないのですが、けっこう気合い入ってる感じなんです。
<書物という身体の喪失>でもって、面白かったのが聖書の話。
印刷技術が開発される以前、キリストの教えは修道士が音読し、写本し、自らの肉体に「体得した知」として蓄えていたわけで、「キリストの教え」というコンテンツを肉体に宿していたという意味で、彼らは「
書物としての身体」という機能をもっていたわけですね。
言い換えれば、「キリストの教え」という魂が、修道士の身体に「受肉」していた。
しかし、グーテンベルクが活版印刷技術を開発して、「教え」という魂は紙の束=書物に印刷(=受肉)される。こうして、「教え」という魂が受肉したところの「
身体としての書物」(この表現は今福龍太氏)が誕生する。
ところが現在、電子端末へと送られるコンテンツは、コンテンツのみで移動し、固有の身体を持たず、さらにその端末に固着されるわけでもないという意味で、「身体」を失う。
身体を失ったコンテンツは、私たちにどのように吸収され、記憶されるのか。
<書物という身体の喪失>ここで著者は、脳科学者の池谷裕二氏の「意味記憶」と「エピソード記憶」という説明を引用します。
意味記憶とは、例えばπ=3.141592…ってやつをこのまま覚えるような記憶。
一方のエピソード記憶というのは、五感を通して文脈(コンテクスト)の中で覚えるような記憶。
私が言いたかったのも、このエピソード記憶に近い話でして、「本」を手にもって読んだ、その
時間と
空間が五感を通して私たちに与えてくれるものの威力のことなんです。
そして著者は「マージン(文字が印刷されている周囲の余白部分)」が五感に与える影響の重要性を例に挙げるのですが、これが、そう、まさに『くまの楽器店』で私が



と思ったところの一つであり、ページをめくって見た瞬間、
ふわわわわわ〜と感じたゆえんなのです。
ああ〜〜、やっと繫がった。で、何が言いたいかというと、この
ふわわわわわ〜を子どもの頃から繰り返し体験している人間と、そうでない人間とでは、感性の貧富にゼ〜〜〜ッタイ差が出るはずで、それは物事をみたときに「これはよい」「これはよくない」と判断する良質なものさしを涵養できるかできないかの違いであり、私は我が子にこの
ふわわわわわ〜をたっぷり体験させてやるぞ、と思っているということです。
ただし、私は電子書籍を全面否定するつもりはなくて、
ブックフェアのところでも書きましたが、いま電子端末という利便性も発信力も高い媒体があって、これを使えば新しい発信の仕方ができる、この媒体の特性を生かした創造活動ができる、とクリエイターさんたちが考えるのは当然のことで、それはむしろ望ましいことですらあります。
しかしそれでも、少なくとも現在の電子端末をみる限り、書物には電子端末に代替されないかなり重要な機能があり、むしろ問題は、供給過剰・乱造傾向にある現在の書物の多くが、電子端末に十分代替されてしまうようなものに成り下がっているということ。
結論としては、電子端末に競争優位がある部分はどんどん代替されていって、それでも優位性を維持して残った書物が、産業として成立しうるだけの規模を維持しているかどうかが、書物生き残りの可否をめぐるポイントになるのではないか、と。
私は電子媒体に対応できないかもしれないので、もしかしたら、
ラストサムライになっているかもなぁ、なんて思ったりすることもあります。
なんだか、ややこしくなってきたので、今日はここまで
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