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読書記録:谷川俊太郎『詩を書くということ——日常と宇宙』

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2015年10月25日(日)

読書記録が続いちゃいますが、先日の記事に関連してもう一つ。

前回、村上春樹氏の自伝的エッセイを読んで「うわっ、考え方がぜんぜん違う」と思ったことを書きましたが、反対に、「あ〜、近い」「師匠、私もぜひ、この方向でm(_ _)m」と思ったのが、こちら。

谷川俊太郎『詩を書くということ——日常と宇宙』PHP研究所、2014年

ま、もともと谷川氏のファンではあるんですが…、
と言っても、谷川ファンは世界中にいるので、私ごときがファンを名乗るのはおこがましくもありますが、
とりあえず、いつか息子が生まれたら名前は「俊太郎」にするぞと独身時代から固く決意していたんだけど、赤ん坊の顔を見ているうちに「俊太郎と言えば谷川なんだから、そんな名前をつけたら、コイツ、絶対に名前負けするよな、だってオレの息子なんだし…」と思って違う名前にした、というくらいのファンではあります。
(どんなんやねん

   *   *   *

あ、本の話でしたf^_^;)

本書は、NHK BShi で2010年6月24日に放送された「100年インタビュー/詩人・谷川俊太郎」をもとに構成されたものです。
(インタビュアー:石澤典夫アナウンサー)

テレビ用のインタビューなので仕方ないのかもしれませんが、内容はちょっと薄いかなぁと。
もちろん、事前・事後に構成の手が入っているとは思うのですが、内容そのものは加筆しないで、むしろ喋っている雰囲気をそのまま残しています。
だから、どうしても突っ込みというか踏み込みが浅いような、言葉が十分に吟味・凝縮されていないような、物足りなさがあります。

半面、あまり準備しないで即興的に答えようとすれば、氏のなかから自然に湧き上がってくる言葉、すでに熟成し定着した言葉が「持ちネタ」ならぬ「持ち言葉」として、そこここにちりばめられることになります。

そんなキーワード、キーセンテンスを拾いながら、その背後にある氏の世界観、人生観、職業観を読み取っていくのが本書の楽しみ方ではないかと。

   *   *   *

というわけで、本書のなかからキーワードを2つだけ紹介。

日常と宇宙と
谷川氏と言えば、もちろん「宇宙」。
『20億年〜』でデビューしてるわけですし。

本書でも繰り返し「宇宙」が出てくるのですが、興味深いのは、それが(副題にもなっているように)「日常」との二重構造で捉えられていること。
あるいは、人間という存在の2面性というか。

私たちは常に「現在」の「現実」社会(=日常)のなかにあって、過酷な事実に直面し続けています。
谷川氏はこのような人間のあり方を「社会内存在」と呼びます。

これは、とても苦しい。耐えられなかったり、トラウマになってしまったりします。
こうした現実に直面して、いかに対抗し、自分を保っていくかが私たちの大きな課題となります。

そのときの対抗手段となりうるのが、「宇宙内存在」としての自分を感じること。
人間は一種の自然であり、すなわち宇宙の一部なのだから、この広大な空間の一部として、過去から未来へと続く時空の一点として自分を捉え直すことで、いわば「社会そのもの」ひいては「社会内存在としての自分」を相対化することができることになります。

私たちは、決して「社会」という単位のなかでのみ生きているわけではない、ということだろうと思います。

詩作品と詩情と
この「現実への対抗」に関連して、詩情(poésie, poetry)という言葉も重要です。
谷川氏は、日本語の「詩」を「試作品」と「詩情」とに分類し、前者が力を失いつつある一方、後者に対する人々の欲求はむしろ高まりつつあると言います。

今日、詩情は詩作品のみならずゲームにもマンガにも映画やテレビにも浸透しており、流行の「カワイイ」キャラやグッズも、詩情に対する人々の「飢え」の現れだと。

そして、それは詩情が「過酷な散文的現実」への対抗手段となりうるからなのだそうです。

詩情の力っていうものが、非常に微小な力だけれども、暴力、財力、権力という強大な力に対抗する、ひとつの『よすが』になると考えているんです…

私はここでの「詩情」を「物語(story / narrative)」と言い換えたい。

おまけ
…とまぁ、壮大な世界観、社会観、人生観をお持ちの谷川大先生ですが、私がそこに「近いっ」なんて言えるわけありません。
氏は一方で、現実社会のなかで「詩人」という職業をもって生きる自分を、きわめて冷静に現実的に見つめています。

ぶっちゃけて言えば「生計の手段」としての詩作という営みについても、(詳しくはありませんが)あけすけに語っています。
だから、フツーに「注文」「お金」「締め切り」なんて、一般には「詩的」でなさそうな言葉がポンポン飛び出す(笑)。

この感覚は、とても共感が持てます。

そして、この感覚が詩作品のなかにも等身大の言葉として自然に出てくるところがすごい。
ただし、このへんは谷川氏も「歳をとったからでしょうね。昔はもっと気取って書いてましたから」とおっしゃっているので、まあ年の功なんでしょうね。

そして、もう1つ「私もぜひ、この方向で」と思うのが、短い作品への志向。
こんな長いブログを書いておいて言うのも何ですが、私も徐々に「削ぎ落とす」「厳選する」方向へと移行しつつあります。
(だからこそ、ブログはダラダラ書きたいのかもしれませんf^_^;)

谷川氏はこれを「僕は字を書くのが嫌いだから」と笑って済ませてしまうわけですが、
「長編小説こそ自分の主たるフィールド」と断言する村上春樹氏とは対照的ですし、
そうした姿勢が創作のスタイル、営みそのものまでを規定するのだなというのが、両者を読み比べて感じたことです。


とりあえず、以上です。
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