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観劇日誌:とりにく特別企画 とりささ!第2弾『叶虚島』

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2015年10月4日(日)

昨日は、もりたえみさん沢渡あきさんの舞台を観に行ってきました。

とりにく特別企画 とりささ!第2弾『叶虚島』
演出:もりたえみ
脚本:あやし
於:萬劇場(大塚)

あきさんは役者として出演。
先日、ダンスを観たときは、痩せた〜って思いましたけど、昨日の舞台を観るかぎり、その迫力は健在。
…っていう以上に、なんか、<怪演>が定番になってきたような(笑)。

そして、もりさんは演出に初挑戦とのこと。
人数も多く、殺陣もあり、要素も盛りだくさん。さぞ、ご苦労だったと思います。
この間、一緒に飲んだときには「もう、ハゲそう」って言ってましたけど、…いいですよ、いつでもこっち側にいらっしゃ〜い(笑)。

<あらすじ>

ええと、本日まで公演ということで、以下、チラシ、パンフほかの情報を中心に再構成してみます。

       *   *   *

年に一度だけ海上に現れるという、大海の孤島「叶虚島(かなうしま)」。

この島が姿を現す日、島のオーナーによって、各大陸(など)から選定された戦士(勇者、かな)が集められる。

戦士たちは、それぞれ異なる特殊能力をもった人工知能(AI)体とパートナーを組み、そして「ルイン」と呼ばれるバトルロイヤルを繰り広げるのだ。

最後まで生き残った戦士に与えられる褒賞、それは「どんな願いでも叶う」こと。

       *   *   *

さまざまな参加者が、それぞれの思惑をもって戦いに臨む。

そんななか、争いごととは無縁だった一人の若者・トキワが、このバトルに巻き込まれていく。

彼は何者なのか、なぜここにいるのか、彼のパートナー・スオウとの関係は…

戦いのなかで、トキワの過去、AIたちの正体、そして「ルイン」の隠された目的が明らかになっていく。

はたしてトキワは、その胸に抱く「願い」を叶えることができるのか…。

アクション(殺陣)満載のSF冒険活劇

<感想など>

…だいたい、こんな感じじゃないかと思うんですが、間違ってたらごめんなさいm(_ _)m

いやぁ、設定がけっこう難しくって(>_<;)

この世界の科学技術水準が、結局のところ、どのあたりにあるのか、とか、
リアルなのかヴァーチャルなのか(攻撃されても無効ってどういうこと?)、とか…、
あ、それからパートナーたるAIを指す名称も忘れてしまった

たぶん、RPGとか戦闘ゲームとかに慣れてる人なら、すんなり入っていけるんだろうな、と思うんですけど、
できれば、ゲームのルールと固有名詞・専門用語に関する説明を当パンに書いておいてもらえると、大変助かりますf^_^;)

初期の設定を理解できていないと、後半でどんでん返しがあっても、何がひっくり返ったのか、よく分からなかったりするんですよね(=白状すれば、電脳系の設定がよく分からなかったために、終盤で何が起こっているのか、いまひとつ理解できなかった私)。

       *   *   *

そんなところで苦労した関連から、このところ、なんとなく思っていることを一つ。

ここ数年、人気マンガやラノベ、ゲームのテレビ化・映画化が増え、一方でオリジナルのテレビドラマなどが減っているという話をよく聞きます。

これは、前者のマーケットが盛況・成長を続けているのに対して、後者が低調・縮小傾向にあるために、ストーリーメーカーたちがより<食えるようになる>可能性を求めて前者にドドッと参入しており、そこから優れた<物語>が生まれやすくなっているんだろうと思います。

もちろん、こうした現象自体は、大きく見れば、成熟部門から成長部門へと労働力がシフトしていることを意味しますので、経済活動としては健全であるとも言えます。

ただし、私個人としては、困ったことが一つ。

私のように、マンガをあまり読まず、ゲームもからっきし、ラノベなんて読んだこともない、という時代遅れのおっさんは、自然と最新・最先端の<物語>に触れる機会が減ってしまいます。

そう言えば、小説でさえ、一部の作家を除けば、新作を読む気がしなくなってきていて、一昔前の作品や古典のほうに手が伸びてしまいます。

でも、今日では「古典」「名作」と呼ばれる作品だって、発表されたときは「最新」「異端」として衝撃とともに受け止められてたんでしょうしね。

なんだかなぁ、私の感性が保守的になってるってことなのかな。

       *   *   *

私は、情報・知識収集における自身の活字偏重(活字依存)を、一種の美学のように感じていたり、電子世代・ネット世代と自分との差異化の一源泉のように考えたりもしているのですが…、

活字によって発信される情報・知識が、電子媒体上のそれらに対して劣敗する方向に社会が変化していくと、

あわせて私の吸収する情報・知識の質も相対的には劣化していく可能性が…

そうならないために必要なことは、

1. 新たな媒体を受容し、そこに載る新たな形態や時代性をもった作品にも大いに触れる

2. 古典・名作に馴染みつつも、そこから普遍性のみならず前衛性をも汲み取る

…って書いてみたものの、どっちも難しそうf^_^;)


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コメント

コンテンツが客を選ぶ

「前提」を知らない人がついていけないものが、近年ますます増えたように思います。

コンサートに「予習」が必要になったのは、随分前からです。
当然、全てがそうだとは言いませんが、
アーティストのパーソナリティーはもちろんのこと、
楽曲を知らない人は参加しづらくなりました。

古典文学などの「難しい」ものが、ある程度の知識や見る目を求めるのとは、全然違うのでありまして。

お約束を知らない(内容がわからない)ほうが悪い、と言わんばかりの芝居、
これから増えていくかもしれませんね。

客を置き去りにする漫才師が現れたのは、20年くらい前です。
いま彼らは、軌道修正を経て「捕ったどー」なんて叫んでいます。

2015-10-12 23:27 | 緑青 #- | URL [ 編集 ]

客は今を生きていて

緑青さん、どもですm(_ _ )m
いま、ちょうど、そんなことを考えてたりしましてf^_^;)

20年前の作品の焼き直し。
とはいえ、お客さんも私たちも、それなりに障害物だらけの道を走ってきたわけで、
過去の作品から定規で線を引っ張っただけの「未来」を描くわけにはいかない。

過去の作品とは関係無しに、
今を生きているお客さんを、揺さぶったり感動させたりしなくちゃ、
今を生きている私たちが創作する意味ってないよな、なんて、思ったりしています。

ちょっと酔っ払い気味、すみませんm(_ _)m
2015-10-14 01:41 | 本間宗南 #- | URL [ 編集 ]

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