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おすすめ絵本9:サーカス

サーカス2

2012年4月25日(水)

さて、本日おすすめしますのは、こちら。

◯36声にだすことばえほん サーカス中原中也 にしむらあつこ・絵 齋藤孝・編、2008年9月25日、ほるぷ出版、本体1,200円

あの

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

でご記憶の方も多いのではないかと思います。

図書館で物色していて、

え、中原中也絵本

と意外に思ったので、取り上げてみました。

<あらすじ>

幾時代かがありまして
 茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
 冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
 今夜此処での一と殷盛り
  今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁
 そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
 汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


<感想など>

<「声にだすことばえほん」シリーズ>
で、どうして中原中也絵本になっているかというと、「声に出して読みたい〜」などでおなじみの、齋藤孝教授の編纂で

声にだすことばえほん」シリーズ

というのが、ほるぷ出版から出ているんですね。

このシリーズ、その他のラインナップを見てみると、

知らざあ言って聞かせやしょう(歌舞伎「白波五人男」より)
寿限無(落語)
春はあけぼの(枕草子)
吾輩は猫である(夏目漱石の小説『吾輩は猫である』より)
祇園精舎(『平家物語』より)
ゆく河の流れは絶えずして(鴨長明『方丈記』より)
外郎売(早口ことば・物売り口上)
走れメロス(太宰治の小説『走れメロス』より)
初恋(島崎藤村の『初恋』より)


などなど、けっこう面白いものが並んでいて、いずれも言葉のリズム、音の調子の優れた作品ばかり。
なるほど、よいセレクションだなぁと思いました。

<子どもと中也>
ではなぜ、この中に中原中也が入ってくるかと言いますと、本書のあとがき「子どもの心に染みこむ中也の」で齋藤氏が興味深いことを書いているので、ご紹介します。

私が「サーカス」をNHK教育テレビ「にほんごであそぼ」でとりあげてもらった時、青年が読む作家と思われていた中也のを、子どもに伝えるということは多くの人の発想にないことだった。しかし実際には3〜5歳くらいの幼児たちに「サーカス」はたいへん受けた。このの「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という空中ブランコの音が、幼児たちの心にすっと入っていったのだった。


それが、その、まったくそのとおり

私が図書館で借りてきた絵本を手提げ袋に入れて置いておくと、娘がそれを引っ張りだして読むのですが、その中からサッと手にしたのが本書。

そして、まさに「声に出して」読み始めるのです。

いくじだいかが ありまして
 ちゃいろい せんそう ありました

いくじだいかが ありまして
 こんや ここでの ひと…さ、か、り


ま、子どもはだいたい音読するのですが、そこで、

私  おもしろかった?
娘  うん。ここ、おもしろいんだよねぇ。

と指差したのが、やはり、

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

の、空中ブランコ。

<「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という「発明」>
齋藤氏は続けます。

ランコは子どもたちにとって身近なものだが、その様子を音で表そうとすると、普通は「ギコギコ」や「ゆ〜らゆら」となる。しかし、中也は「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と表現した。これは、奇跡的な「発明」だと思う。歴史上、誰もこんなふうには言えなかった。(抄:本間)



さらにすごいことに、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」はもはや立派に日本語として認知されているわけですが、この中也ののこの空中ブランコを表現する言葉としてのみ存在しています(たぶん)。

例えば「グルグル」なら、目玉やら、腕やら、時計やら、いろんなものの様子を表現する場合に使いますが、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」がこれ以外に使われているのを、私は寡聞にして知りません。

用例が一つしかない日本語。

まさに、あの空中ブランコを表現するために「奇跡的に発明」された言葉なんだなぁ、と思うわけです。

さらにさらに、これらの言葉は、空中ブランコ一般を表現しているのではありません。

いま一度、齋藤氏の言葉を引用・要約しますと…

一昔前のサーカスには、ちょっとうらぶれた、さみしい、少し恐いようなイメージがあった。お祭りのような非日常の場所なのだが、突き抜けた明るさではなく、何か底知れない闇がある。
しかし、それは恐怖感ではない。「ゆあーん ゆよーん」から感じられるように、この「サーカス」を貫いているのは、何とも言えない、力の抜けた楽しさだ。それは単に明るい楽しさではなく、さみしさの混じった楽しさとでもいうべきものだ。


つまり、現代のボリショイサーカスなどの空中ブランコを「ゆあーん ゆよーん」と表現すれば、きっと誰しも違和感を感じるのであって、ある種の時代的・社会的文脈の中にある「サーカス」を象徴する擬態語としてのみ「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」は存在しているということです。

ここに、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」のユニークさ(独自性、特殊性)の源泉があるのでしょう。

<明日から>
…さあさあ、そろそろ、脳内でリフレインし始めましたね。

明日から、ふと気を緩めると、

ゆあ〜ん ゆよ〜ん ゆやゆよ〜ん

って、ブツブツつぶやいちゃってますから、どうぞご注意を。

ふふっ
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