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観劇日誌:劇団東京晴々 「ボーダローグ」

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2014年9月14日(日)

昨日は、なかなか忙しい一日でした。

午前中、娘と(自転車の練習を兼ねて)図書館へ。

というのも、何度も書いてますように、このあたりはトラックが多くて危ないものですから、嫁さんが運転する自転車の後ろに乗せるか、自分の自転車に乗るときは私が伴走するかしてたんですが、しかし、近所の子どもたちはもう自分で乗って、母親の自転車の後ろをついていってたりするんですよね。

娘としては、それが悔しいやら恥ずかしいやら。

でもね、

と私は言います。

自転車に乗れるってことは、ハンドルを上手に扱えるとか、早く走れるとかってことじゃなくて、ルールを守れるか、周りの人たちのことを考えて運転できるか、危険を予測しながら走れるか、ってことが大事なんだよ。

とはいえ、練習しなきゃ、できるようにはならないのも間違いないので、私が交通ルールやら注意ポイントやらを教えながら、2人で図書館までサイクリングに出かけることにしたという次第。

私の幼少の頃は、自動車があまりに少なかったので、自転車を運転できさえすれば問題なかったのですが(そもそも、生活圏内に信号機がなかった ふと気づいたことには、そのエリアは現在でも信号機がない)、この子たちはそうはいかないんですよね。


あ、いや、そんな話じゃなかったですね。
(だったら、書くなってば

     *   *   *   *   *

図書館から戻った私は、昼飯も食べずに出立。
目的地は、梅が丘。
15時過ぎまで駅前のマックで仕事をしてから、劇場へ。

20140913東京晴々2_convert_20140913235010
そう、梅が丘BOXと言えば燐光群。
燐光群と言えば梅が丘BOX。

という、燐光群の本拠ですね。
80年代に颯爽と登場し、小劇場演劇の先端を輝きながら疾走した燐光群は、いまや海外にまで活動を広げ、主宰の坂手洋二氏は日本劇作家協会の会長さんであらせられるくらいで、もう前衛というよりは代表的存在になっちゃいました。

でも、梅が丘BOXはやっぱりBOXです。

前置きが長くなりましたが、そこで見てきたのがこちら。

劇団東京晴々「ボーダローグ」
作・演出:矢野未知生
於:梅が丘BOX(世田谷)

<あらすじ>

今日まで公演がありますので、当パンからチラッと脱線する程度で。

       *   *   *

国境を接する2つの国、豊かで開かれたサリスと、鎖国を続ける貧しいムシカ。
南北朝鮮あるいは東西ドイツを想起させるような両国は、国境の「壁」で隔てられ、国交は断絶している。

その壁際で、あるいは壁を越えて、紡がれる物語。

       *   *   *

両国をつなぐのは、壁の数か所に開けられた門、通称「穴」。

穴を警備するのは「穴守」と呼ばれる罪人たち。

ある日、穴守のところへ、1人の女性記者が現れる。

私を通して。ムシカの事実を世界に伝えたい…。

国境兵の見回りは2日に1度。潜入が許されるのは、たった1日だけ。

そう、1日で帰ってくる約束だった。

しかし、彼女が「事故」に巻き込まれたことによって、事態は思わぬ方向へ…。

       *   *   *

なぜ、彼女は危険を冒して潜入するのか?

彼女の身に何が起こったのか?

そして、穴守となった罪人は何者なのか、彼の犯した罪とは?

徐々に明らかになる、彼らを取り巻く人々の思い。

時代と社会と権力に振り回される、儚(はかな)き者たちの物語。

<感想など>

ざっと、こんなとこですかねぇ。

いや、実際、ネタバレ覚悟でストーリーを書こうとしても、けっこう難しいんですよ。

一晩経って、少し頭が整理されたようにも思いますが、なんで難しいんだろうなと考えてみると、たぶん、2つあると思います。

まず1つは、全体の物語の背骨を成すエピソードを伏せて、周辺的なエピソードで構成されていること。
主人公は壁際で出逢う女性記者と穴守なんです、どう考えても。
しかし、2人は物語を動かさない。

エピソードは、2人がそれぞれ残してきた人々(=彼らが2人をどう思っているか)を描くことに徹しているので、「何が起こったのか」がたっぷり語られることを無意識に期待する観客は、まんまと裏切られます。

もう1つは、権力の主体が登場しないこと。
これは、この作家さんの特徴だと思うんですが、作品のなかに政治・社会・権力といった題材がぷんぷん漂っていながら、それはあくまで背景もしくは環境のように人々を規定するのみで、人の姿で登場することはありません。

簡単に言うと、国王とか首相とか国会議員とか、権力を行使して政治上の意思決定している人が出てこないってことです。

描かれるのは、徹頭徹尾、末端の人間たち

私が観た過去の作品をいくつか振り返っても、市井の人々が権力側に一泡吹かせるというラストが思い起こされるんですが、その権力側も一番の末端だったり、中間クラスだったりで、したがって、社会全体へのインパクトは小さい。

       *   *   *

これって、世界観だよなぁ、と思うわけです。
もしくは、視点。

作家(兼・演出家)の視座が非常に低い、地面すれすれのところに据えられていて、だから社会的な出来事や政治体制も、地面を這いつくばっている人からどう見えているのか、という描き方をしているんだと感じます。

       *   *   *

ただし、これまでと違うところが一つ。

私が観た過去作品では、時代や権力に翻弄される底辺の人々が、彼らなりのやり方で、したたかに逞しく生き抜く(一泡吹かせたりもする)のですが、今回は…。



あ、ネタバレになりそうなので、ここまで。

いずれにせよ、題材しかり、構成しかり、「これまでと違うこと」(当パンより)に挑戦しているとのことですし、まだまだ一つのスタイルで固まる歳でもないでしょうし、今後の展開に期待したいと思います。

     *   *   *   *   *

幕が下りて劇場を出たのが17時。

その足で、梅が丘から下北沢へ。


というわけで、つづく
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