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おすすめ絵本6:忘れても好きだよ おばあちゃん!

忘れても好きだよ1

2012年4月4日(水)

前回の「おすすめ絵本」コーナーでは、身近なものの「死」とどう向き合うかというテーマを取り上げましたので、関連して今回は「老い」をテーマとした作品をご紹介します。

忘れても 好きだよ おばあちゃん!ダグマー・H・ミュラー 作 フェレーナ・バルハウス 絵 ささき たづこ 訳、2006年10月20日、あかね書房、本体1,400円(HERBST IM KOPF: Meine Oma Anni hat Alzheimer, by Dagmar H. Hueller, illustrated by Verena Ballhaus, Copyright by Annette Betz Verlag im Verlag Carl Ueberreuter)

<あらすじ>

主人公は女の子「わたし」。

おばあちゃんが歳を取ってきたので、一緒に暮らすことになりました。
おばあちゃんは、アルツハイマー病です。

アルツハイマー病って、見ただけでは分からないものです。
おばあちゃんは、2階の部屋から外を眺めていたり、好きな庭仕事をしたりします。

おばあちゃんは、コーヒーメーカーの使い方をいくら教えてあげても、すぐに忘れてしまいます。
でも、コーヒーの粉にお湯を注ぐやり方は、よく覚えています。

おばあちゃんは、洗濯機の使い方をいくら教えてあげても、どのボタンを押すのか、すぐに忘れてしまいます。
でも、手で洗うやり方はよく覚えていて、わたしにも教えてくれます。

おばあちゃんは、昔、学校の先生だったので、たくさんのことを覚えていました。
でも今は、自分が先生だったことも、思い出せないのです。

あるとき、ママが言いました。

おばあちゃんの今までって、大きい木みたいなものかしらね。

それで、ママとわたしは、おばあちゃんが生まれてから今までを絵にしてみました。

忘れても好きだよ2

おばあちゃんが子どもだったときの絵は、木の下のほうに。
大きくなってからのおばあちゃんの絵は、木の上のほうに。

とても大きくて、立派な木の絵ができました。

ママ「これは、おばあちゃんの人生の木なのね。

でも、どうして、こんな楽しいことまで、ぜんぶ忘れてしまうのでしょう。

ママ「病気のせいなの。おばあちゃんの頭には、秋が来たのね。この絵は、風にふかれた木の葉みたいに、一枚一枚、散ってしまうのよ。



わたしは、おばあちゃんと絵本を読むのが好きです。
パパなら、すぐにページをめくってしまうけど、おばあちゃんは、どの絵もゆっくり眺めます。

わたし「おばあちゃん。このワンちゃん、かわいいねー。」
おばあちゃん「どれ、どれ。ああ、ほんとにかわいいねー。」

そう言って、おばあちゃんは、わたしを抱きしめてくれます。

<感想>

「老い」もまた人間(もちろん、生きとし生けるもの)の普遍的テーマですので、自身の「老い」とどう向き合うか、伴侶の「老い」、親の「老い」、それぞれ多くの作品があります。

絵本や童話の場合は、幼児の目線で描かれますので、当然ながら、おじいちゃんやおばあちゃんの「老い」と孫である自分がどう向き合うか、というアプローチになります。

本書で傑出しているのは、何と言っても、この「人生の木」(あるいは「人生樹」とでも呼びましょうか)。

たくさんの枝葉をつけた色鮮やかな「大きくて立派な木」を描くことは、ごく当たり前に、おばあちゃんの尊厳に対する敬意を生み出します。

「秋が来て、葉が散るように」記憶が失われていくという説明は、大人の私が聞いても、すんなりと納得できるものです。

主人公の「わたし」は、おばあちゃんの素敵なところもやっかいなところ(すぐに忘れてしまったり、急に不機嫌になったり…)も、とても自然に受け入れています。

核家族(我が家もそうです)化が進むと難しいのですが、老いる者(動物も含めて)と共に暮らすというのは、「老いの尊厳」への敬意を育み、そして生きるものすべてが老いる以上、「人生の尊厳」や「生命の尊厳」への敬意を育むのではないか…と思います。


それで思い出しました。
私の義父は半身に障害があって、短距離なら杖をついて、長距離になると車いすで移動します。
一緒に散歩や買い物に出かけると、ウチの娘は、自分の興味や気分でテクテクッと歩いていくのですが、途中まで行くとツイッと振り向き、おじいちゃんたちが後からゆっくりやってくるのを待っています。

その待ち方が何と言いますか、「おじいちゃん、早く〜」でもなく、「おじいちゃんは、待ってあげなきゃいけないから」でもなく、ただフツーに待っていて、あまりの自然さに、わが娘ながら、ちょっとした感動を覚えます。

もっとも、本人は何も考えていないのかもしれませんが。強いて言えば、「動きの遅いものを見て、その動きの遅さを受け入れている」というような…。

でも、その「何も考えずに」とか「ごく当たり前に」っていうのが、けっこう大事じゃないかなぁ、と思います。

もう1つ、思い出したこと。
大学で社会保障を教えている某先生がイギリスに留学したところ、街を歩いていて、やたらと車いすの人々に出会うので、

まあ、イギリスは、何と障害者の多い国だろう

と、驚いたそうな。

しかし、もちろん、そんなわけはなく、イギリスでは障害者専用の駐車場やら、車いす置き場やら、とにかく障害者向けの設備・制度が充実しているので、障害者が気軽に街に出かけられるのだというお話でした。

そして、その数年後、先生の友人であるイギリスの社会保障研究者が日本に来てビックリ。

おお、日本は、何と障害者の少ない国だろう


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