2021年3月21日(日)
いつだったか、新しく出たばかりの小説はほとんど読まないと書いたように思うのですが(実際、そうなのですが)、
カズオ・イシグロは仕方ない(笑)。
書店に行ったら、入口近くの平台に平積み…という以上に、山積みになっていたので、
出ちゃったか〜、とりあえず、読まなきゃな〜…
というわけで、珍しく新刊のご紹介です。
『クララとお日さま』カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳
早川書房、2021年
「ご紹介」と言っても、
ホヤホヤの新刊でネタばらしをするわけにもいかず、
その一方、「超」人気作家の新作なので、すでに公式・非公式の紹介・感想が大量に出ており、
私が紹介するべきことなんて無いと言えば無いので(笑)、
とりあえず、
このブログを読んでいる私の友人・知人(たぶんイシグロ作品を読んでいる人は少ない)に向けて、
周辺情報を含めて舞台設定などをザックリ紹介し、
あとは私的きわまりない感想をポツポツ…
ま、そんなとこで
m(_ _)m * * *まず、外回り。
カズオ・イシグロは日系イギリス人、『日の名残り』でブッカー賞を受賞するなど現代イギリス文学を代表する作家の1人で、これまでも出す作品、出す作品が世界的にヒットを飛ばしている人気作家。
写真の帯にもあるように、2017年にノーベル文学賞を受賞し、本作が受賞後の第一作となります。
日本では、早川書房が独占翻訳権を持っていて、イシグロ作品の邦訳はすべて早川から。
既刊本はすべてepi文庫になっているので、お手軽に入手できます。
本書は初刷50,000部と言われますが、注文が殺到して発売前から増刷を重ねているとの由。
日本、そして世界が待ちに待った作品、というわけです。
* * *で、物語の設定。
主人公クララは、AF(Artificial Friends:人工親友)と呼ばれる、AI搭載の少女型ロボットです。
この世界は、遺伝子工学の発達により、人間の能力を向上させる遺伝子編集「向上処置」が普及して間もない時代。
「普及して」と書いたのは、「処置」を受けた子どもたちが majority を成し、優れた教育機会とそれに相応しい将来が与えられ、反対に「未処置」の子どもは望ましい教育機会(そして就業機会)から排除されるという「格差社会」が出来上がっているという意味で。
「間もない」と書いたのは、10代の子どもを持つ(私と同世代であろう)親たちは「措置」を受けておらず、昔ながらの(=私たちと同じ)教育システムを(たぶん)経験しており、そのことが親世代の苦悩・葛藤・対立を生み出す一因になっている…っぽいから。
そして、理由はよく分かりませんが、私たちの感覚で言う小・中・高校教育はオンラインの個人授業で行われていて、大学入学とともに初めてキャンパスに通い、集団で学ぶことを経験する社会になっています。
そこで、その間の「孤独」を癒す「いい友達」としてAFが開発され、子どもたちに宛てがわれるようになったみたいです。
ただし、この「処置」にはチョット問題もあって、少数ながら(おそらく)遺伝子上の不適合者がいて、「処置」によって重篤な病気になったり、その挙げ句に死んでしまったりする子どももいます。
そうすると、親にとっては我が子に「処置」を受けさせることが、けっこうな「賭け」になります。
子どもに「措置」を受けさせなければ教育機会が著しく損なわれ、将来の可能性が厳しく制限されます。
しかし、もしも子どもの遺伝子が「措置」に適合しなければ、我が子を死なせることにもなりかねません。
こうした世界のなかで、
処置を受けて病気になった少女ジョジーと、
処置を受けず教育機会から排除された少年リック、
そして、ジョジーのAFとして購入されたクララに、
ジョジーに処置を受けさせた母親クリシーと、
リックに処置を受けさせなかった(経済的に受けさせられなかった)母親ヘレン、
…を中心に物語が進んでいきます。
* * *どう進むかは読んでいただくとして(笑)、最後に感想を一言二言。
前作『忘れられた巨人』で「う〜ん、読み応えが足りないっ
(>_<;)」と少なからずガッカリした私は、本書も不安を抱えつつ買ったんですが…、
本作を読み始めて、何となく同じような感覚<サクサクしてるのに、ダラダラしてる>に陥り、
「
うわ〜、また、これか〜」
と一時は気持ちが萎えたのですが、
徐々におもしろくなり、中盤からは、
「
いかんいかん、サクサク読めるだけに、すぐに読み終わってしまう。何週間もかけて、ゆっくり味わわねばっ」
と自分に言い聞かせていたにもかかわらず、
終盤に入るや否や、ページをめくる手が止まらなくなって(陳腐な表現で面目ない
m(_ _)m)、持ち帰った仕事もほったらかしで、昨日、読了してしまいました
f^_^;) * * *「科学技術と生命倫理」というテーマは、クローン技術と臓器移植を扱った『私を離さないで』を継承するものです。
イシグロ氏の言葉では同時に『日の名残り』の流れも汲むそうなのですが、私にはピンと来ませんでした

ロボットと人間との関係では、I. アシモフのロボットシリーズが想起されます(ま、基本ですからね)。
そして、クララの行動には、(まったく個人的にですが)O. ワイルド『幸福の王子』を思い出してしまいました。
穏やかで innocent な幸福の王子、というところでしょうか。
ある種、信仰と自己犠牲の物語であり、poetic なSFファンタジーです。
全体として、解説で河内恵子氏が言うように「美しい小説」という印象を持ちました。
私の好きな『日の名残り』や『充たされざる者』のように、
激しく心を揺さぶられたり胸を締めつけられたりする感覚はなかったのですが、
何と言うか、
小さく光り輝くものが、胸の中にすう〜っと落ちてくるそんな、貴いものに触れたような、心地よい感覚に充たされ、
静謐で温かく、透き通った読後感を味わいました。
* * *が、まるっきり心地よい読後感だけだったかと言うと、そうでもなくて、
やはり少し、心の左下あたりに小さなシコリを感じるというか(笑)。
本書のカバー袖には、
----------------------------------…
やがて二人は友情を育んでゆく。
生きることの意味を問う感動作。
…
----------------------------------と書かれているんですが、
はたして、これは「友情」なのか

ジョジーによるクララの「使役」と、クララによるジョジーへの「献身」ではないのか

人工的に造られた知性に「生きる」尊厳は与えられうるのか

クリシーの言う「穏やかな引退」が具体的に意味するものは

クララの innocence の裏側には、どこまでも guilty かつそのことに無自覚な人間の存在がセットになっているのでした。
* * * * *う〜ん、そう考えるにつけ、やっぱりいい作品なんだろうな〜(笑)。
だんだん酔っぱらってきてまして、これ以上考えても文章を改善できない気がするので…
これで、おしまい
m(_ _)m
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