2021年1月17日(日)
共通テスト真っ只中ですね。
こんな状況下で、受験生も試験関係者も、本当にご苦労様だなと思います。
一方、演劇関係では、今週、こんな動きがあったことも共有しておきます。
WeNeedCulture 20210113 要請文私は上手く表示できなくて(なぜか上半分が切れてしまう

)、結局、ファイルをダウンロードして読んだのですが、皆さんはちゃんと読めるでしょうか

で、かく言う私の週末は、家族の買い物付き合ったり、台所の電気工事に立ち会ったりしつつ、残りの時間はコツコツ仕事をしているのですが…気分転換かたがた、本のご紹介でも。
(私の場合、最新刊を買うことは少なく、また何かのはずみで思い立って感想を書くだけなので、全般に情報が古いところはご容赦を
m(_ _)m)
* * * * *
『歩道橋の魔術師』呉明益著/天野健太郎訳
白水社、2015年
(天橋上的魔術師、夏日出版社、2011年)
本書をいつ何で知ったのか、もう覚えていません
f^_^;)ただ、私のスマホには、「読みたい本」リストが、「仕事関係」「舞台関係」「その他」に分類されてズラッと並んでおりまして、何かで直ぐ必要な本を買う際に、「他に、何かあったっけな

」とリストを眺めて、「あ、また、この本に惹かれた」なんてことが2〜3回あったものを一緒に買うことが多いです。
じゃ、本書の何に惹かれたかというと…、そりゃ、まず、書名がイケてるじゃないですか(笑)。
「歩道橋」に「魔術師」がいるなんて、私の頭からは絶対に出てこない
(T_T)で、帯のキャッチを読んで、「懐かしい匂い」とか「ノスタルジックな」ってのは…あまり求めていないのですが、「よみがえる魔法の時間」「物売りが立つ歩道橋」「台湾で今もっとも旬な若手」なんて文句にフラ〜ッと吸い寄せられて、何か斬新なアイデアやインスピレーション、生命力なんかをもらえないかという(いささか意地汚い

)動機で買った…ような気がします。
* * *作品の舞台は1970〜1980年代の台北、かつて繁華街の中核をなした「中華商場」というショッピングモール。
3階建てで横長のテナントビル8棟が南北1kmにわたって続き、各棟の2階が歩道橋でつながっています。
「連作短編」の形式をとる各小品は、この「商場」という店鋪(兼 住居)施設に暮らす子どもたちの目線を通して、老人から幼児まであらゆる生活者たちの濃厚な生き様を(しかし、静謐に)描き出し、そして折々に登場する「魔術師」がそこに幻想の粉を一つまみ振りかけます。
さらに読み進んでいくと、本書の作家と思しき<ぼく>が、幼少期に出会った「歩道橋の魔術師」についての情報を少年時代の友人・知人たちから聞き集めている…という緩やかなメタ構造が見えてきます。
このため本書は、「一つの場・テーマからなる連作短編」という以上に一作品としてのまとまりを持っているのですが、しかしメタ構造側ーーすなわち物語を聞き集める<ぼく>の現在のストーリーーーは多く語られず、かっちりした二重構造の作品とまでは言えません。
むしろ、二重構造がやんわり示されることで、語り手と聞き手の存在・関係が徐々に見えてきて、
すると、過去の回想とともに、その後を生きる「かつての住人たち」の「現在」もが、端々に浮かび上がってくる…
というほうが似合っているように感じます。
そして、もう一つ重要なことに、その人間模様は、
単に古き良き時代を懐かしんだり、
その喪失を悲しんだりするものではなく、
当時も苦く、切なく、胸苦しい思いがあったのであり、
現在まで続く人生もまた、やり場のない思いの積み重ねであり…、
それを、
いまだに解けない謎、あるいは記憶の陰に引っかかっている棘のような、あの「魔術師」の幻影を追いつつ、現実と幻想、記憶と空想の端境に描いたのが本作品…
ってとこですかねぇ
f^_^;) * * *ちなみに、施設の様子はカバー写真からも窺えますが、
Facebookで「中華商場」の歴史を紹介する動画が一番便利かも。
10分足らずの映像ですが雰囲気が非常によく伝わり、またナレーションが(当然ながら)中国語なので私は一言も理解できませんが、漢字のテロップを読むと何となくの情報は受け取れます(笑)。
あ、ただし、動画を先に観るべきかどうかは考えもの。
私としては、(もし「中華商場」を知らない方なら)まずは予備知識なしに本書の描写のみで本作品を味わい、それから動画を観たうえで再読することをお勧めします。
初読時には、簡潔で穏やかな描写が主要人物にレンズを絞り、切なく行き場のない心情を(時に美しく、時に恐ろしい幻想とともに)ひたひたと波打つように伝えてきます。
一方、画像・映像による知識を得た再読時には、余白部分に
ボッフンッ
と現れた人、人、人が行き交い、電車や車が引っ切り無しに走り過ぎ…という具合に、騒々しくてエネルギーに満ち満ちたシーンに激変します。
そんな喧騒のなかで、あるいは裏手へ一歩入った秘密の場所で、さらには誰もいない真夜中に、そして人々が見過ごしてしまう一瞬の<magic time>に、物語が埋め込まれているのです。
* * *…あれ

じゃあ、どの辺が「懐かしさの文学」なんだって話を1つ2つ。

著者の呉明益氏は国立東華大学の教授を務めながら小説家でもあり、写真・イラストまで手がけるというスゴい人なんですが、私とほぼ同年代。
(だから「若手」というのは、ちょっと違和感も(笑))
本作品にも作者の経験が反映されているそうで、主要舞台も1970年代後半から80年代にかけてっぽい。
それゆえ…だけでもないですが、作品中にも、
村上春樹、ドラえもん、仮面ライダー、ヤクルト…、
『グレート・ギャッツビー』、ガルシア=マルケス、スタンダール、オースティン…、
…なんか、近い(笑)。
同じ時代、同じ空間を共有してきたような。
しかし、一方では、
(当たり前ですが)淡水河、敦化北路、大甲媽祖宮、外省人、大同電鍋、双十国慶節、陽春麺…など、台湾(・中華文化圏)らしい固有名詞が並び、倪匡、温瑞安、古龍といった私のまったく知らない作家の名が登場します。
この、
似ているようで少し違う、
知っているようで知らない、
そんな感覚って…と思っていたら、
あ、パラレルワールドじゃん
…と。
自分の幼少〜青年時代のパラレルワールドを見ているような気分に陥るのです。
ちなみに、上記の「中華商場」の歴史を紹介する動画なんかもう、<昭和>を観ているとしか思えない(笑)。
カバー写真も「National」(松下電器)がド真前に出ていますが、
汚らしいバラックが白く輝く近代的な商業ビルに取って代わられ、
しかし無数の人々の蠢きによって、あっという間に無秩序で猥雑な空間へと変貌していく様子が、
涙が出るほど<昭和>を想起させます。
台湾と日本の<近さ>をそんなところにも感じました。

もう1つの懐かしさは、私が「
若い頃、こういう小説をよく読んだな」と。
穏やかで、ナイーブで、弱々しく社会的な責任を背負っていない人物が登場する物語。
とくに第1話を読んだ直後は、その甘ったるさとイノセントさに、正直「
今、自分が読みたい物語ではない」と思ってしまいました。
ただし、第2話にも魔術師が出てきて、「
あれ、そういう仕掛けなの
」と別の興味が湧いて読み進めるうちに、前述のように複雑な要素が混ざり合い、それでも生き続ける生命力が糸を伝うように染み上がってくると、最近の私の欲求にもまずまず応えてくれていて、最後は気持ちよく読み終えることができました。
その理由の1つとして得心したのが、「訳者あとがき」で天野氏が「どういうものを指すのか〜よくわからない」と断りつつも挙げたキーワード「マジックリアリズム」。
(本書は翻訳企画の提案当時、「三丁目のマジックリアリズム」というコードネームで呼ばれていたそうです)
「
ああ、そうか。そっちとも、つながっているんだ」と(笑)。
というわけで、私個人としては、当初に期待した「斬新な」何かを手に入れるという下心は叶わなかったものの、「読んでよかったな」と思える作品でした。
* * * * *この呉明益氏ですが、本書の後、『自転車泥棒』という作品が、やはり天野氏によって翻訳されているようですね。
本書のなかでも映画『自転車泥棒』への言及がありましたが、映画とはまったく異なる作品のようです。
個人的には、「訳者あとがき」で紹介されている『睡眠的航線』『複眼人』を早く翻訳出版してほしいと思いました
m(_ _)mそれから、この『歩道橋の魔術師』は台湾でテレビドラマ化され、来月から放送されるとの由。
そうだろうな。
本書を読んだとき、とても(演劇的というよりは)映像的だなと感じましたので、テレビドラマはピッタリだと思います。
日本でも観られないんでしょうかね

…あ、それで思い出した

本書を読んで、『恋恋風塵』を観なきゃと思っていたのを、すっかり忘れていました。
また直ぐ忘れそうだから、「観たい映画」リストに入れておかなきゃ
f^_^;)