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2018年4月29日(日)

GWが始まりました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか

       *   *   *

私、昨日28日(土)は異動に伴う座席の引越で、休日出勤。
27日(金)までに3分の2ほどは終わらせており、残るは机まわりだけなので、まあ、大したことはないだろうと楽観して行ったのですが、いざパソコンの電源をつなごうと机の下を覗いたら…

うおえっ(>o<)

絡み合う通信ケーブル、
タコ足からタコ足へと広がる電源コード、
そこかしこに散らばるクリップ、
いつからそこにあるのか分からないティッシュ、
そして、
カーペットにベチョッとへばりついて固まっているチョコレート色をした何モノか(キャンディ
その何モノかに半ば埋もれるようにへばりついている電源コード…

ムリ、これはムリだ(T0T)

ふと気になって机の引き出しを開けてみると、

消しゴムのカス、髪の毛、ホコリその他もろもろがこびりついたデスクトレー、
消しゴムのカス、髪の毛、ホコリその他もろもろが散乱する引き出し、

え、昨日、「机、もう空けましたから」って言いましたよね。
掃除しないの 人に明け渡すときって。

私、今しがた、自分の机を(給湯室にあったチャーミーグリーンで)ピカピカに磨いてきたところですけど。

…気持ちを落ち着けるために、ひとまず昼飯(笑)。

       *   *   *

覚悟を決めると、

窓を大きく開け放ち、
机をどど〜ぅと動かして、

ホコリにまみれたクリップ類を拾い、
荒々しく掃除機をかけ、
チョコレート色の何モノかからソロ〜ッとコードを引きはがし、
チョコレート色の何モノかをカッターでカーペットから剝ぎ取り、

電源コードの配線を整理しようとして途中で挫折し、

机を戻して、雑巾で机の上と引き出しを拭き、

しばしコーヒーを飲みつつ呆然。

あらためて気合いを入れ直し、運んできた諸々を片付けながら、

総務の彼女が言っていた言葉を思い出しました。

私、あの部屋には…、もうね、空気が…ホントに

こういうことか。

しかし、ここでメゲちゃいけません。
あるべき環境は与えられるのではない、自分で作り出すのだ。


なんか、ドーラの飛行船の調理室に入ったシータの気分になりました(笑)。


不本意な異動と配属ではありましたが、(いろんな意味で)意味のある仕事をしないと人生がもったいないので、とりあえず、頑張ろうと思います。


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観劇日誌:楽天団 『ハムレットマシーン』

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2018年4月22日(日)

さあ、(予定では)4月最後の観劇日誌をなんとか今日中にupしたいと思いますが、仕上げられるか…。

っていうか、あまりに長く書くから1本の感想に1週間以上かかってしまうわけで、もっと軽〜く書けばいいんですよねf^_^;)

   *   *   *   *   *

先日、サイマルさんの『ハムレットマシーン』を観ましたが、その翌週11日(水)には同フェスに参加されているYUKIさんが出演される、こちらの舞台を観てきました。

楽天団 『ハムレットマシーン』
原作:ハイナー・ミュラー
構成・演出:長堀博士
於:d-倉庫(日暮里)

またもやネタバレ必至  ご注意をm(_ _)m

       *   *   *

列車から降り立った一人の男。
「劇団の方ですか」と話しかけてきた女に強引に連れられ、寂れた劇場の舞台(私の勝手な想像)へ。

プリンタから吐き出され、乱れ散る脚本。

その1枚を拾い上げ、ト書きを読む女、

現れては消える女優たちとともに、
『ハムレットマシーン』を演じる男、

彼の名は、ハムレット(たぶん)。

もう1段階、メタな仕掛けが用意されているんですが、あまり興味を惹かれなかったので割愛。

       *   *   *

前回同様に演出ノートも参考にしますと…、

デンマーク王子ハムレットを単なる一俳優(かつてハムレットであった男、しかし今はハムレットであることをやめてしまった男)に貶めることで時代を超越させ、とある時代の、とある場所に降り立たせる、という趣向かと。

演出家の長堀氏は、これを、死に損ねて「現代まで生き残」った「アフターハムレットの物語」と読み解きます。

       *   *   *

この長堀氏の「演出ノート」を読んで、けっこう、似たようなことを考えてるな〜、というのが最初の印象でした。

『自伝』を読むと、ハイナー・ミュラー自身は、当時の東欧(とくにハンガリー、ブルガリア、そして東ドイツ)の政治状況を『ハムレット』に投影すること…すなわち、権力闘争に敗れ、処刑(粛正)された男の息子の物語として『ハムレット』を再構築しようとしていたらしいんですが、それこそ当時の政治状況のなかでそんなことができるわけもなく、

そのうちストーリーが解体され、対話が消失し、彼曰く「干し首」のごとく残ったものが、この『ハムレットマシーン』(以下、『HM』)だったようです。

ならば、ここから新たな『ハムレット』を再構築したい…

多少なりとも物語を書く者なら、ついつい夢想してしまうと思うんですよね。

だから、長堀氏の「最初、…ハムレットマシーンのテキストを使わずに、シェイクスピアのハムレットを上演し…」というのは、発想の方向としては、けっこう共感するものがあるんです。
(もっとも、彼は「稽古に入ってすぐボツに」したそうですが)

       *   *   *

ただし、好き勝手に再構築するなら『HM』は不要なわけで、その精神や感性、視角は少しでも吸収したい。

となると、ポイントがいくつかあって(まだ、整理できてないんですが)…、

少なくとも、第1に、やはり政治的な社会状況への視線を無視するわけにはいかないと思うんです。

この点、サイマルの赤井さんは、オースターの『最後の物たちの国で』を持ち出すことで、絶望と暴力と無秩序の国を登場させ、その最後に1945年8月の日本を重ねました(たぶん、ですが)。

現代の日本に生きる私が『HM』から新たな物語を構築するとなれば、やはり現代日本の政治状況を私なりに受け止め、提示するくらいの野心がなければダメだと思ってます。
(具体的な時代・場所の設定はいくらでも変えていいと思うんですが、そこに現代日本を重ねるべき、という意味です)

そして第2に、その状況の下で、

たとえば、「敵」とは何か…ハムレットは何と闘わねばならないのか、とか、

たとえば、「罪」とは何か…ガートルードなり、オフィーリアなり、いかなる罪を背負っているのか、彼女たちは何ゆえに罪深い存在なのか、とか、

社会的、あるいは内省的な課題それぞれに自分なりの答えを持たないと、物語が成立しないだろうな…、

なんて考えて、

でも、もちろん、そんな見識も意見も持ち合わせていない私としては、「遠い未来の目標」とせざるをえません(笑)。

       *   *   *

で、自分のことを棚に上げつつ、そんな気分だけを胸に今回の上演を(あくまで私の関心から)振り返ってみると、

登場人物が背負っている問題(ここは女優たちが担っていますが)が、あまりに「私」的領域における「個」人的問題すぎて、

う〜ん、世界が「閉じて」るな〜。

と思ってしまいました。

       *   *   *

というわけで、観劇後、YUKIさん&その超美人なご友人2人と呑みに行って、いきなり感想を聞かれたときには、つい、

え〜と、中くらい、おもしろかったです。

と答えてしまいました(笑)。

   *   *   *   *   *

おっと、そろそろ風呂を沸かさなければなりません。

なんて、どーにでもなる言い訳をして、中途半端ではありますが、感想を切り上げたいと思いますm(_ _)m


観劇日誌:劇団enji 『Be My Baby』

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2018年4月18日(水)

重たい芝居は感想を書くのも体力いるんで、upまでについつい時間がかかってしまいます。
で、時間がかかると、いろいろ思うことが増えてきて、どんどん長くなっていきます。
となると、upするのも、さらに遅くなっていきます。
が、そんなことを言ってると、いつまで経っても終わらないので、今日、仕上げたいと思います。

   *   *   *   *   *

このところ何回か観ているenjiさん、今回もスーさんこと鈴木浩之さんが出演されているので、去る6日(金)に観てきました。
(ずいぶん経っちゃったな〜f^_^;)

劇団enji 『Be My Baby』
作・演出:谷藤太
於:吉祥寺シアター(吉祥寺)

       *   *   *

座席について、まず思ったこと。

セットがデカイ

中央に石段。この存在が圧倒的。
登って上手寄りに鳥居。これもデカイ。
そのさらに上手には社があると思われるものの、地階から生えている木(これもデカイ)に遮られている格好。
上手端に産婦人科の看板がかかっており、袖の向こうに病院がある体。
下手側には団子屋。手前に緋色の毛氈を敷いた床几(縁台)、端にはタヌキ(雌雄)の置き物。

前回「イタイ☆ホテル」を観たときは、舞台がむしろ低く切り取られている印象だったので、さほど広いと感じなかったのですが、この空間をタッパいっぱい埋めるのはホントに大変だなと、ポケ〜ッと口を開けて眺めておりました。

当パンには「〜舞台が組まれる、といきたいが、勝手には組んでくれないので自分たちでフラフラになって組む」との文。
終演後にはスーさんも腰をさすりさすり「もう、ヘトヘトだよ。アレをまたバラスんだぜ」と苦笑い。

       *   *   *

以降、どちらかと言えば「感想を聞かせろ」という方々向けに書いている関係上ネタバレがあるので、「再演を観たいから、ストーリーもオチも知りたくない」という方はご遠慮くださいm(_ _)m

             

では。

Babyときて、神社があって、病院があれば、何となく妊娠・出産の話かなと想像がつくわけですが、しかし、ふんわりほんわかとは観させてくれません。

のっけから不妊で悩む夫婦のイザコザ。

一方では、ワケありっぽい妊婦が出産間近のお腹を抱えてヤケクソ気味に石段を上り下り。

ああ、要するに、望んで授からない夫婦と、望まずにデキちゃった母親の構図ね…

と早合点していたら、それでは終わらないのがenjiさんの芝居、

この両者を「特別養子縁組」で結んじゃおうってんだから、何ともエグイ

つまり、「手放す」側と「受け取る」側にしちゃうわけで、しかも両者を早々に引き合わせちゃうんだから、これってけっこうな修羅場。

いや、実にエグイッ

…ここまで追い込まなきゃいけないのか。

素直に関心しました。

非現実的で極端な設定を作らなくても、
これほど日常的な、そこの角を曲がったら出くわしそうな空間のなかで、
これだけ究極の選択を強いるような状況が生み出されるんだな、と。

       *   *   *

しかし、ですね。

設定はスゴいと思ったんですが、序盤から中盤にかけて、どうにもおもしろくない。

なんだろう、このeccentricな登場人物たちは。
一方では、まるで「ピーターパン」でも演ってるかのように、ふわふわ宙に浮かんでる感じの人たちがいて、
他方では、コミカルにやろうとしているのか、でも逆に力んじゃってる人たちがいて。

何のために、この日常的な空間が用意されているのか
あるいは、演出家さんに「テーマが重いから、演技は深刻にならないように」なんて言われて、こうなっちゃったのかな

もっと、肩の力を抜いて演ればいいのに。

私は稽古場で問題が生じると、つい本を直したくなって(=本で解決したくなって)、でも、いつか読んだ「それは演出の仕事ではない。本を直したいなら脚本家になれ」という言葉を思い出して、「ダメだ、稽古場で解決しなきゃ」なんて思い返すんですが、

いや、これは本のせいじゃない。

う〜ん、役者さんたち、消化できてないのかな

なかでも一番気になったのが、主役の団子屋の奥さん(主役だと思うんですけど)、こんないい役なのに、なんでそんな、脇っぽい、影の薄い芝居をするんだろう…。

私に言わせれば、主役というのは、その物語のなかで最も成長する人、変化する人であって、たとえ名台詞や決め台詞がなくたって、周囲の色と輝きを吸収して自分がカラフルに輝けばいいと思うんですけど…、

人を輝かせるシーンはあっても、自分が光らない。
自分の成長を噛みしめてほしかったな…
いや、自分が主役だと思ってないんだろうな、きっと。

半面、一歩一歩踏みしめながら忍耐強く前に進む団子屋のご主人と、ヒタリヒタリと内省を続ける妊婦さんとに、私は共感を持ちました。
(しかし、この2人は主役じゃないと、私は強く思うわけですが)

       *   *   *

てな感じでですね、ブツブツ(心の中で)文句を言いながら、観たり俯いたりしてたんですが…、

でもね、やっぱり最後は、もっていくわけです。

今回は2段構え、いや3段構えとでも言いましょうか。

その1 妊婦さん
子を手放すと決めた彼女、お腹の子を愛さないように、感情を持たないようにと、努めて心を空っぽにします。
しかし、予定日を過ぎても、赤ちゃんは生まれてこない。

そんなとき、団子屋の奥さん(以下、略して「団子奥さん」)に言われます。

「生まれる側の気持ちになってみて」

赤ちゃんは、どんなときに「生まれたいっ」と思うのか

そして妊婦さんは、団子奥さんに促されて石段をゆっくり登りながら、胎児と過ごした十月十日(余)を回想し、「産む者」のみが知ることのできる幸福を体験し、生まれ来る者に対して、ついに、こう語りかけるのです。

「出ておいで〜

その2 団子屋のご主人
子どもを受け取る当日、いまだに詰問する義父に、ご主人がこれまでの葛藤を吐露します。

もらうと決めた後も、心が揺れ続けたこと、そして、
前日、病院で赤ん坊と面会し、初めて決心がついたこと。

そのときの様子を、ご主人は語ります。

…顔を見たとたん、彼女(団子奥さん)が、「あ、この子だ」って言ったんです。
実は僕も、「ああ、この子だ」って思いました。
そして理解したんです。
僕たちに子どもができなかったのは、この子に出逢うためだったんだと。

そして、その場に膝を折り、地に額を擦り付けんばかりに深々と頭を垂れるのです。

お義父さん、どうか、この養子縁組を認めてくださいm(_ _)m

       *   *   *

ああ、これがあったのか。
作家さんは、このシーンを用意していたんだ。

このシーンに辿り着くのだという<目的の地>があるからこそ、この物語は前に進むことができるんだ、

と(勝手に、ですが)とても納得しました。

       *   *   *

そして、
その3 妊婦さん再び(ホントは団子奥さんと言いたい
赤ん坊を迎え、大賑わいの団子屋夫婦&奥さんの両親、
一方の(元)妊婦さんは両親に付き添われて退院。

が、ほんの一瞬の隙をついて、(元)妊婦さんは団子屋に忍び込み、赤ん坊のベッドへ。
出て来るときには、ボストンバッグを縦に抱え、まるで中に何かが入っているような…

直後に、「赤ちゃんがいないっ」の声、そしてパニック。
しかし、赤ちゃんは無事で、実はあんなに文句を言っていた義父が抱いてあやしていただけでした。

もちろん、これは見え透いたフェイント。
「生まれる側」の目線を手にした(元)妊婦さんに、その行動はありえない。

では、彼女は赤ん坊のベッドで何をしていたのか
(言い換えると、何のために、このフェイントを入れているのか

看護師が一通の手紙に気づき、読み上げます。
それは、(元)妊婦さんが団子屋夫婦に託した、子どもへの言葉。

当然じゃないですか。
繰り返しますが、彼女はすでに「生まれる側」の目線を手にしたのです。
ならば、この子が将来、何に直面するか、どんな苦しみを味わうのか、そして、それを乗り越えるためには何が必要かと、必ず想いが及ぶはずなんです。

だからこそ、彼女は手紙を書いたのです。
自分のためではなく、この子のために。

とても納得しました。
たしかにそうだ、と私も思いました。


でもね〜


これで終わっていいのか


否、と私は主張したい。

これじゃ、団子奥さんは母親になれないですよ。

       *   *   *

もう一度、手紙を読むシーンを振り返りましょう。

中央に看護師、石段に座って手紙を読む。
上手の木の陰には逃げそびれた(元)妊婦さん、様子を見守る。

私としては、ここで是非とも団子奥さんにフィーチャーしてほしかった。

たとえば、ですよ、超ベタかもしれませんが、

団子奥さん、看護師のやや下手に立ち、手紙を読む看護師を見つめる。
(=団子奥さんから(元)妊婦さんは見えていないけど、観客からは両者が対峙しているように見える)

手紙の意味を理解した団子奥さん、看護師の手からそっと手紙をとり、続きを朗読する。

読みながら静かに跪き、読み終えると手紙を胸に抱き、深く深く頭を垂れる。

このすべてを引き受けました、と。

…つまりですね、この手紙は2人の母親の「引き継ぎの儀式」のための道具であって、
このシーンは、産みの母が子と離別する儀式であると同時に、
その産みの母の想いをたしかに引き受け、すべてを背負う覚悟を持つための、
いわば、育ての母が「母」になるための儀式でもある(むしろ、主題から言えば、そちらがメインな)わけです。

顔を上げ、ゆっくり立ち上がった団子奥さんの表情は、見違えるほどに輝いています。
まるで、十月十日を胎児と過ごし、腹を痛めて産んだという自信と幸福感を手に入れたかのよう。

そう、とっても大事なポイントなんですが、子を産み終えた母親は、自信と達成感に満ちあふれ、輝いているんですよ。
それを彼女は継承しなければならない、母となる以上は。

そして赤ん坊の元気な泣き声、

駆け寄る人々、堂々と赤ん坊を抱く団子奥さん、静かに去っていく(元)妊婦さん。


…だってね、これは(少なくとも、その主題は)、

「産んだ女が、母をやめる」話でもなければ、
「産めない女の夫が、父になる」話でもなく、

どう考えても、やっぱり、

産めない女が、母になる」物語なんだから。


ああ、やっと終わりましたm(_ _)m


観劇日誌:サイマル演劇団 『ハムレットマシーン』

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2018年4月9日(月)

また、書きかけの記事が、いつまで経っても仕上がらないっ

今日こそはっ ということで、今回も観劇日誌です。

   *   *   *   *   *

去る4日(水)、葉月結子さんが出演される、こちらの舞台を観てきました。

サイマル演劇団 『ハムレットマシーン』
原作:ハイナー・ミュラー
構成・演出:赤井康弘
於:d-倉庫(日暮里)

えっとですね、d-倉庫で「現代劇作家シリーズ」というイベントをやってまして、これは現代の著名な劇作家の作品を1本だけ取り上げ、それをいくつかの団体が連続で上演するものだそうです。

で、今年のお題はハイナー・ミュラーの代表作「ハムレットマシーン」。

なんて書くと、私がハイナー・ミュラーをよく知っているかのようですが、いえ、ぜんぜん知りませんでした。
けど、昨年の私の公演に出ていただいたYUKIさんがハイナー・ミュラー大好き女優で、稽古帰りに呑みに行くと、もう岸田理生とハイナー・ミュラーの話を交互にするっていうくらい。

と、そこへ葉月さんから当シリーズのことを教えられたYUKIさん、別の参加団体のオーディションを受け、そちらに出演することとなったそうです。
(そちらは11日(水)に観に行くので、観劇日誌も後日に)

       *   *   *

話を戻します。

サイマル演劇団の主催・赤井さんの解釈による『ハムレットマシーン』の登場人物と、それぞれに与えられたテキストは次のとおり。

ハムレットとガートルード…『ハムレット』(シェイクスピア)
詩人…『ハムレットマシーン』(ハイナー・ミュラー)
男…『最後の物たちの国で』(ポール・オースター)…たぶん

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舞台中央奥、男が手紙を読み続ける。
男は何者か、彼のいる場所はどこか、なぜその手紙を持っているのか…。

詩人は詩(『ハムレットマシーン』)を唱え続ける。
片手で傘を持ち、片手でドレスの裾をたくし上げ(だったかな)、後ずさりながら。

冒頭、ハムレットはガートルードを愛撫する。
続いて、2人は激しくまぐわう、交互に跨がりながら。
ついに、ガートルードはハムレットを拒み、ハムレットはガートルードを犯す。
(ただし、ガートルードはオフィーリアでもありえ、ハムレットはクローディアスにも先王にもなりうる)

最後、玉音放送が流れ、一人残された男は立ち上がり、歩を進め、そして突っ伏す。

       *   *   *

そんな芝居でした。

…って、どんなんやねん と思われるかもしれませんが、だいたい、そんな感じじゃなかったかと思います(笑)。

まあね、そもそも『ハムレットマシーン』をちゃんと消化も解釈もできてない私が、それを解釈した赤井さんの演出をさらに解釈するというのも、どだい無理な話なので、ま、この程度ですf^_^;)

しかも、途中からは「あの車椅子の男が読んでるの、何だっけ…、どっかで読んだ覚えがあるんだけど…」と記憶をたどり続けていて、他の役者さんたちについては集中力散漫m(_ _)m

ただし、当公演の当パンには、「出演団体の演出ノート」と題して赤井さんのコメントというか、演出コンセプトも載っていて、これを読み直しながら振り返ると、何となくピンと来るところもなくはなく。
(逆に言うと、開演直前にも読んだはずなんですが、そのときにはピント来ずf^_^;)

       *   *   *

その内容については、今度、葉月さんに会ったときの楽しみにとっておくとして、赤井さんの言葉ですごく心に残った言葉…

----------------------------------
僕は物語からなるべく離れることを旨として、演劇をつくってきた。
「物語る」ということが、僕には切実なものとは感じられないのだ。

ハムレットマシーンは果たして物語なのか? 一遍の詩であるようにみえる。
俳優がストーリーに隷属することを避けたい。



----------------------------------

以降の文章については、
共感できるところもあれば、
共感できないにしても、あの舞台を思い起こして「なるほど」と思うところもありますが、
上記の引用に関しては、

私の志向は、ほぼ真逆

そうだ、私は「物語り」たいのだ。

「ものがたりや」でいたいのだ。

演劇史を繙けば、「物語の解体」と「物語の復権」が交互にやって来たりもするんでしょうけど、

私は徹頭徹尾、「物語」に拘泥していたい。

『ハムレットマシーン』を読んで、「分っかんね〜」とのけぞりつつも魅力を感じるのは、

それが『ハムレット』の解体であるとしても、

そこに新しく豊かな「物語」を胚胎していることが見て取れるからだ、と思うんです。

その意味で言うと、

『ハムレットマシーン』それ自体を舞台化するのは、どちらかというとナンセンスの類いで、
(だから、赤井さんは再構築したんだと思いますが)
個人的には、『ハムレットマシーン』をいわば胎盤として、

新たな「物語」を生み出すことにこそ、

私は挑戦すべきだと感じました。

あ、ちなみに、「解体」そのものを否定する気持ちはまったくなくて、
実は、前作『赤鳥恋歌』も三重吉作品の解体と再構築を目指したつもりなんですけど、
その点の評価は真っ二つに別れました(笑)。

   *   *   *   *   *

ここ数日、この記事を書いては消して、書いては消しての繰り返しで、うまくまとまらないんですが、いいかげん疲れてきたので、あとは食べログでごまかしますm(_ _)m

d-倉庫からの帰り道、岩井さん、しはかたさんと「どこへ行こうか」と悩んで、以前に私があきさん&りゅうしょうさんと入った焼鳥屋さんへ。

で、食べたもの。

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とりあえず、サラダ(私オーダー)と漬け物盛り合わせ(しはかたさんオーダー)という、おやじ臭い取り合わせ。

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お次は白レバー。
レバー好きの私がオーダー。

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これは…鳥わさですかね(岩井さんオーダー)。

で、あとは焼き鳥を人数分。
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右から、椎茸の肉詰め、軟骨、…白レバーかな〜。

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右から、つくね(柚子胡椒)、つくね、…レバーかな〜。

要するに、レバー食って、元気にいきましょ〜ってことです。


お粗末さまでしたm(_ _)m


観劇日誌:Chant Theatre Presents 『アワーグラスと桜の木』

2018年4月2日(月)

4月になり、ふと気づくと桜が散り始めていました。

本日、正式に異動の通知があり、私はさらに日当りのよい席に(より窓際に)移ることとなりました。
実際に動くのはGW前後ですが、自分の部下をごっそり引き連れての吸収合併的異動(つまり、私の部署の消滅)なので、これから業務の調整が本格化します。

       *   *   *

ま、それはさて措き(措いていいのか)、
去る30日(金)で年度末の仕事にケリがつき(無理やりつけ)、
31日(土)はこの3か月間の諸々を整理するため休日出社、
そして昨日4月1日(日)は家族で映画を観てきました。

例のごとく二手に分かれ、
娘&私チームは「ちはやふる」。
正月だかにテレビでシリーズ前作を放送したらしく、それを観た娘が「しのぶちゃん(松岡茉優)」の大ファンに。
小学生にはちょっと背伸びかな、とも思いましたが、ぜひとも今回のシリーズ最終作(かな)を観たいとせがまれました。
一方の息子&嫁さんチームは「ドラえもん」。
息子は依然としてアンパンマン大好きっ子ですが、徐々にドラえもんにも関心が向かい始めているようです。

で、「ちはやふる」ですが、

おもしろかった

少女マンガと言ってしまえばド少女マンガなんですが、私の(わりと)好きな青春growing upモノの王道を行くような展開、私の(あまり)好きでない恋愛ネタはほどほど抑制を利かせ、代わって和歌ネタを織り込んで奥行を出す…

てな具合で、

娘も大満足、「今まで観た映画のなかで、一番おもしろかった」とのこと。
イチオシのしのぶちゃんが今回は完全に脇にまわってたのも気にならなかったようです(笑)。

       *   *   *

そして、帰宅後に息子の自転車の練習に付き合い、それから娘と書道の練習を…

する計画だったのですが、もう、みんな疲れ果てちゃって、それらは来週することにf^_^;)



で、空いた時間で先週から書きかけになっていた観劇日誌を仕上げようと思ったんですが、結局、本日までかかってしまいました。

というのが、今日の本題。

   *   *   *   *   *

いきなりですが、去る3月24日(土)、鳥羽まなみさん出演の、こちらを観てきました。

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Chant Theatre Presents 『アワーグラスと桜の木』
作・演出:本田潤
於:座・高円寺2

交差する2組の「親子」。

一方は、父親と息子。
父親は家庭を顧みずに夢を追い続け、夢に破れる。
息子は家庭を守るために夢を諦め、父を恨む。

他方は、母親と娘。
母親は娘を想い、急死した夫に代わる再婚相手を見つける。
娘は父を想い、早々に再婚した母親を憎む。

一枚の絵はがきを手がかりに父親の足跡を辿る旅の途上、息子は娘に出会い、2人は行動をともにする。
徐々に明らかになる父親の苦悩と息子への想い、
夢を追う道が、自分に譲られたことを知る息子。

そして最後に、絵はがきは娘と母親を結ぶ。

       *   *   *

ざっくり、こんな話だったかと。
爽やかで後味のよい作品だったと思います。

…思います…

けどね〜、

きれいすぎるんです。

もっとも、「3月の週末を素敵にする演劇」なんてコピーがついてるくらいなので、制作意図にちゃんと適ってるんだろうとも思うんですけど…、

これって、息子と娘をもつ父親として言わせてもらうと、

モロ、父親の(かなりエゴイスティックな)願望なんですよね〜(笑)。

自分、まだ主役でありたいんです。
自分こそが夢を追いかけ、それなりの線まで辿り着きたいんです。

そんな自分を、嫁さんには理解してもらいたいし、支えてもらいたい。
もっと言うと、夢を追う自分に、惚れててもらいたい。

が、自分一辺倒じゃなくて、ちゃんと息子のことも考え、息子の夢を応援してやる頼もしい父親でもありたい。
で、「応援してるぞ」ってとこ、息子に知ってもらいたいし、尊敬もされたい。

一方、娘からは愛されたい。
自分が死んだ後も、娘と嫁さんが自分のことを愛し続けてくれていたら、こんな幸せなことはない。



もう、完全に父親の目線だよな〜。
さすがに都合よすぎるでしょ〜。

だから、私なんかは観ていて快感なんですけど、この快感はキケンだな〜とね(笑)。

<教訓 その1>
自分のエゴや願望を満たすために作品を書いていないか、自戒すること。
(あ、いえ、この作家さんのことは何も知らないので、彼がそうだということでは断じてなく、あくまで自分に役立てるとすれば、的な意味です)

もうちょっと言うと、エゴや願望はそりゃあるだろうけど、自己満足に陥らないように気をつけよう、ってこと。
(くどいですけど、この作家さんのことでは断じてなく、あくまで自戒として、という意味です)

でもって、男である私にとっては、女性のキャラをきちんと自立させているかどうかというのが、一つのチェックポイントになりますね。
「男ありき」になっているときは、要注意です。

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それでハタと気づかされるのが、先ほどの「ちはやふる」。

ここでは、ちはやちゃんも、しのぶちゃんも、自分の足でしっかり立ってるんです。
自ら目標を定め、まっすぐ前を見据えて一歩一歩しっかり進んでいきます。

で、ちはやちゃんはイケメン幼なじみ2人に想われ、一方の本命には支えられ、他方の対抗にはコクられ、そしてその中間で曖昧なポジションを堪能するというメッチャ女子願望炸裂なんですが(笑)、この本命君と対抗君ともに、ちはやちゃんのために歌かるたをやってるんですよね。

男のほうが、自分の足で立ってない。

ただし、自分の足で立つための道を歩き始めたかな…という雰囲気は感じられなくもなく。

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そこから、もう一度振り返って、「アワーグラスと桜の木」。

あの女の子は、何が好きなのかな
父親の死を乗り越え、歩き出せるようになったとき、どこへ向かうんだろう
息子のほうにカメラがあったように、娘にも目指すべき何かがあったらよかったのに。

あ、それから、こんなことを書くのは大変失礼な気もするけど…



砂時計(hour glass)は、要らないなぁ。

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とはいえ、書いてる人は強い。
批評だけの人は弱い。
私も書かなきゃだな。

おわりm(_ _)m


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