
2016年8月7日(日)
昨日は朝から休日出勤。晩飯までに帰って、地元の花火祭りをベランダから見物。
本日は午前中に家族で映画を観てきて、午後は入院の準備をしております。
入院なんて初めてなんで、何を準備していいのか分からない。
ちょっと長めの出張くらいな感じでいいのかな。
そんなこんなで、下着やら入院中に読む本やら仕事やらをキャリーバッグに詰め込んでおります。
…が、嫌になってきたので、その合間にちょっとだけブログを更新
f^_^;) * * * * *以前に仕事先の方から話を聞いて、気になっていながらズルズル過ごしてたんですが、
「退院したときには、上演が終わっているかもしれない」
と焦燥に駆られ、先週の金曜日(5日)、発作的にロードショーに行ってきました。
『帰ってきたヒトラー』監督:デヴィッド・ヴェンド
2015年、ドイツ
於:池袋シネマ・ロサ
* * *あらすじをざっくりご紹介すると…。

舞台は2014年のドイツ・ベルリン。
1945年に地下の総統本部でガソリンをかぶって焼身自殺したはずのヒトラーが、タイムスリップして現代に登場

訳が分からず、本部に戻ろうとして焦げた軍服のまま歩き出したヒトラーは、街の様子、人々の様子に唖然。
一方、街の人々は、「ヒトラーのソックリ芸人さん」かと思ってゲラゲラ笑ったり、記念写真を撮ったり。
街角のキオスクで新聞を読み、2014年だと知ったヒトラーは、そのまま疲労と空腹で倒れてしまいます。

その姿を偶然に見つけたTVディレクター(失業中)のザヴァツキは、自分が復職するための千載一遇のチャンスとばかりに、彼を連れて車でドイツ行脚し、行く先々で人々と語り合うヒトラーの姿をネットにアップ。
これがなんと、話題になってアクセス100万回以上

ヒトラーは一躍「モノマネ芸人」としてTVスターに。

市井の人々から政治家まで、さまざまなドイツ国民と語り合い、
さらにインターネットで歴史と国際情勢をつぶさに学んだヒトラーは、
現代ドイツ社会が抱える問題と人々の鬱屈を鋭く見抜きます。
そして、人々に語りかけるのです。
あるべきドイツの再興と、実行力あるリーダーの必要とを。
人々は、冗談とも本気とも分からないまま、本質を突いた彼の演説に、徐々に魅了されていきます。
ヒトラーの著書はベストセラーとなり、
ザヴァツキの監督で映画化されることに。
おまけに、ネオナチが「バカにしやがって」と、ヒトラーを襲撃したため、
重傷を負ったヒトラーはネオナチの敵、民主主義の擁護者として英雄的存在に

しかし、撮影の過程で、ザヴァツキはヒトラーが「ホンモノ」であることに気づきます。
「彼を生かしておいてはいけない」
そう考えたザヴァツキは、ヒトラーを殺そうと…
* * *原作は2012年にドイツで発表されベストセラーとなった小説(邦訳、河出文庫)ですが、映画化にあたって相当な改変を加えています。
一番驚いたのは、撮影にあたって、デヴィッド・ヴェンド監督、ヒトラー役(オリヴァー・マスッチ)、ザヴァツキ役(ファビアン・ブッシュ)が本当にドイツ中を旅し、街へ繰り出し、人々と語り合っていること。
私には、誰が役者さんで、誰が実在の政治家・テレビタレントで、誰が一般市民なのかが分からないわけですが、パンフレットによると、ホントーに素人さんのなかに入っていったとのこと。
そして、監督自身、あまりに多くの人々がヒトラー(役のマスッチ)を受け入れ、彼に向かって右傾的心情(外国人の排斥など)を訴えたことに衝撃を受けています。
もちろん、カメラで撮影されていることを知りながら。
* * *ラストシーンで、
ヒトラーはザヴァツキに語りかけます。
私が大衆を煽動したわけではない。
彼らは、計画を示した優れた人物をリーダーに選んだのだ。
私が怪物だとしても、
私を選んだのは普通の人々ではないか。
お前は、選挙を否定できるのか…。
そう、ヒトラーを消すことなど、できないのです。
* * *全般にコメディ(スラップスティック)タッチなので、あちこちに笑いが埋め込まれている半面、
私が上で書いたような社会的で背筋の寒くなるような面には、イマイチ踏み込みが浅いようにも感じますが、
もちろん、ぼんやり観ることさえしなければ、この映画が意味する恐ろしさは十分に伝わります。
それにしても、
自分を苦しめるものを排除してほしいと願う人々の弱さと自己愛が、
どれほど容易に権力者に利用されうるのか…。
社会の右傾化や極右的政治家の台頭は、
己を取り巻く不安や不満、苦しみに耐えられない私たちの弱さを映し出しているのだと、
つくづく教えられます。
アメリカの某候補や日本の某首相の言動を理解するうえでも、
きわめて重要な示唆を与えてくれる作品だと思いました。