
2016年6月15日(水)
きっかけは、例の絵本プロジェクトだったんです。
ちょっとしたプロットを考えていて、「おや

これって何かに似てるなぁ」と首を傾げ、ハッと思い出したのがこちら。
ネビル・シュート『パイド・パイパー』 池央耿/訳、創元推理文庫、2002年(新訳版)
いつだったか、「読書記録」ではないかたちでご紹介したと思います。
私の大好きな作品。
この作品をあらためて読み直し、このストーリーを参考にしながら、絵本の展開を組み替えていったんです。
(絵本のほうは、(いつか)完成したら、このブログで発表したいと思います)
* * * で、久々に読み返しているうちに、「やっぱり、一番の代表作を読まないわけにはいかないな」と思って、今さらながらに読んだのが、本日のメインテーマたるこちら。
ネビル・シュート『渚にて——人類最後の日』 佐藤龍雄/訳、創元SF文庫、2009年(新訳版)
<あらすじ>東西冷戦の激化による極度の緊張が続くなか、とある小国をめぐる争いが米ソ、さらに中ソ間の全面核戦争へと拡大。
4700個以上の核爆弾が使用され、なかでもコバルト爆弾の使用により高密度の放射能に汚染された北半球では、動植物が死滅。
さらに、放射性物質が大気の循環に乗って徐々に、しかし確実に、南半球をも覆いつつあります。
そんななか、辛うじて生き残ったアメリカ海軍の原子力潜水艦<スコーピオン>号が、タワーズ艦長に率いられてオーストラリアへ退避、同国海軍の指揮下に入ります。
物語は、南半球の大都市のなかで最南端に位置するメルボルン近郊を舞台に、タワーズ艦長らの挑戦と「人類最後の数か月」を描きます。
<感想など>原作の発表は1957年。
(1959年に映画化。残念ながら、私はまだ観ていません)
本作は、第2次世界大戦の傷跡も癒えぬままに東西冷戦が始まり、「第3次世界大戦」「全面核戦争」といった言葉がリアリティをもって語られていた時代に書かれた、いわゆる「終末テーマ」の近未来(当時)小説と言えるでしょう。
のっけから恐縮ですが、ちょっと mislead だなと思うのが、本書の紹介文。
----------------------------------------…そんななか、一縷の希望がもたらされた。
合衆国のシアトルから途切れ途切れのモールス信号が届くのだ。
生存者がいるのだろうか?
最後の望みを託され、<スコーピオン>は出航する…。
----------------------------------------う〜ん、「望み」なんてないんですよね、最初から。
政府・軍の関係者は当初からアメリカでの生存者の存在に懐疑的ですし、
いたからといって、人類の存続に何か希望が生まれるわけでもない。
むしろ、希望があるとすれば、作中で「ヨーゲンセン仮説」と呼ばれる楽観的な予測で、北半球での降水により大気中の放射性物質が落下し、南半球への降下物が予想よりも大幅に減少するというもの。
ただし、タワーズ艦長らは、<スコーピオン>のアラスカまでに至る北上航海において、まさにプロフェッションの軍人らしく「いかに安全に航行し、指令された調査を完遂するか」という冷静で理性的な姿勢に徹していて、「希望を胸に」という雰囲気とはほど遠く感じました。
このシーン、たしかに中盤のクライマックスであるとはいうものの、当てられているのは第6章のみ。
また、そこへ向かう第1章から第5章も、どちらかと言えば、最後の航海へと向かう高揚感というよりは、1つ、また1つと可能性が潰え、じわじわと追い詰められていく過程が描かれます。
* * *そして、本作の最もすごい(と私が思う)のは、メルボルンへ帰還した後の第7章から第9章。
315頁から459頁まで、作品全体の約3分の1を費やして、人々が「いかにして死を迎えるか」を延々と描いていきます。
遠い北半球で起こった、他国同士の戦争。
その余波で、戦争に加担していない自分たちが死なねばならないという不条理。
その死は、必ず訪れるものであり、誰1人逃れられる者はいない。
そのなかで、
残された日々を、誰と、いかに生きて、
いつ、どこで、どのように死ぬか。
——願わくば、自分に最も相応しい場所で、美しく、尊厳をもって。
…
あ、これ、終活だ。ふと、思いました。
たしかに力作、まさに名作。
ご一読あれ。
<余談>その1***1つ、注意事項を。
私、小説を読むのは、だいたい通勤途上の電車のなかなんですが、本作のラストは
先日行った病院の待合室で読んでたんですよ。
整形外科の待合スペースって、杖をつき足を引きずる人、腕に包帯を巻く人、車椅子に座りぐったりする人、ストレッチャーで運ばれる人…
なんかもう、小説世界がめっちゃリアルに立ち現れて、演出効果が効き過ぎ。
マジで悲壮感が迫ってきて泣きそうになるんですが、「
いやぁ、ここで泣いたら相当にヘンなヤツと思われるだろ」と歯を食いしばってガマン。
皆さん、病院で本作を読まないよう、くれぐれもご注意ください(笑)。
<余談>その2***「東西冷戦」とか古臭っ、ぜんぜん「近未来小説やないやん」と思われたあなた、いやいや、そんなことありません。
今日の私たちが過去を振り返って知っていることは、
「米ソ核戦争が起こらなかったのは、敵国の指導者の理性と賢明さを、互いが信頼し合えたからこそ」
という逆説的で皮肉めいた事実。
(もちろん、ギリギリのところで、高価な授業料を払ったうえでですが)
そして、これを言い換えると、
「相手が無分別で短絡的な愚者だと仮定してしまうと、私たちの誰も先制攻撃の誘惑に勝てなくなる」
ということになります。
そう考えてグルッと世界を見渡すと、
相手が比較的小規模で、狂信的で、手段を選ばない場合に何が起こるかを、
私たちは現在進行形で目撃し体験していることに気づきます。
そして、この東アジアでは、まだ冷戦が終わっていないことにも…。
<余談>その3***いつも、長くてすみませんね
m(_ _)m本書末尾には、佐藤龍雄氏と鏡明氏による短いながらも充実した「訳者あとがき」および改題が付されているので、そこから鏡明氏のコメントを1つだけ紹介。
「
…逆説的に言えば、核戦争だけが世界の破滅を象徴していた50年代60年代は、幸福だったのかもしれない。」
何を言っているかというと、「我々の直面している未来の危機」は、「地球温暖化や、水、食料危機」など、「より複雑化」し、かつ「より我々自身に関わってきている」にもかかわらず、「本当に自分の問題として認識できているのか」ということです。
また、今日の「我々を取り巻く環境」は、この物語の舞台である「50年代60年代」と比べて「明らかに悪化している」のだと。
そして、彼は断じます。
「
この世界は簡単に破滅するのだ。」
* * *うわっ、1つだけ付け加えようと思ったのに、どんどん長くなっていきます。
もう、ここまで
m(_ _)m