
2015年12月6日(日)
珍しく、読書記録が続いてしまいました。
この12月前半が年末の仕事のヤマで芝居を観に行っていないというのもあるんですが、本書が「これのどこが長編小説なんだ?」というくらい、あっという間に読めてしまったせいもあるでしょう(笑)。
* * *いえね。
私、これまで島田雅彦氏の作品を読んだことがなかったし、興味を惹かれたこともなかったんです。
ご本人についても、「小説家・劇作家であり、政治的・社会的発言もしている人」、「新聞などで左側から政府批判をしている人」くらいの認識しかありませんでしたし。
じゃあ、なぜ今回はって言うと、「
虚人」で
筒井康隆氏を連想しちゃったんです、まずね。
それから、「星」というのは、本書の主要登場人物の1人、「
星新一」からきてまして(たぶん)、私ってば、「最も尊敬する作家は

」と問われれば、迷わず星新一を挙げるような星新一信仰者じゃないですかぁ〜。
(ちなみに、筒井、星と並べば、小松左京へのオマージュも含まれているんじゃないかと思ったのですが、小松作品は詳しくないので分かりませんでした)
で、ここまで符合するなら「買わなきゃな〜」と思って買っちゃったんですが、率直に申しますと…、
こんなタイトルつけないでよ〜(T0T) * * *いえね。
島田ファンが本作を読んで喜んだり楽しんだり痺れたりするのは構わないんですよ。
好みの問題なんだから。
一方、筒井ファンや星ファンが読んでも…、
…
…ねぇ。
(だと思うんですよ)
でも、「虚人」に「星」とくれば、引き寄せられちゃうでしょ。
「引き寄せられたお前が悪い」と言われればそれまで…かもしれませんが、いやぁ、こ〜れは misleading でしょ〜。
逆に(

)「巨人の星」とは、とくに接点がない…と思うんですけど。
(え、なんか、あります

)。
というわけで、正直「ハズした〜
(T_T)」とは思ってるんですが、別に吐き気がするほどヒドイ作品というわけでもないので、一応ご紹介しておきます。
* * *基本的に、現在の安倍政権下における右傾化、とくに安全保障面で戦争参加に道を開くような政策を進めていることを批判する、というのが、本書の趣旨・立場のようです。

舞台は、おおむね現在の日本で、過去に日本が経験したいくつかの環境設定を混ぜ合わせています。
そして、尖閣諸島の領有をめぐって日中戦争勃発か、はたまた回避されるか、というのが基本ストーリーで、米国の存在を背景に、主に日本国内の右傾化・急進化と中国諜報部隊の画策が描かれます。

一方の主役は松平定男。
安倍晋三・現総理をモデルに青臭さと凡庸さを加えた人物で、与党たる自由国民党(架空)の中堅議員にして、祖父と父が首相経験者というサラブレッド。
スキャンダルによる政局混乱のなかで現職総理が入院、数多の思惑が重なった結果、松平が首相に抜擢されます。

もう一方の主役が、先ほども出た星新一。
外務省での中国通ぶりを認められ、国家保安局(架空)へ異動。実は中国側のスパイ。
なお、彼が松平の異母弟であることは、冒頭で示唆されます(もちろん、星のほうが庶子)。

2人の共通点は、「解離性障害」いわゆる多重人格であること。
まず、松平が抱えるのは「のび太」と「ドラえもん」。
普段は凡庸で頭の回転も速くない「のび太」な松平ですが、ここ一番で「ドラえもん」が登場、雄弁に語り、舌鋒鋭く攻撃し、難局を乗り切ります。
次に星は「病人」「野人」「賢人」「外人」「凡人」「善人」「愛人」という7つの人格を内包しており、折々に適切な人格が登場して高いパフォーマンスを達成、その影で先住民たる星自身は「病人」として普段は傍観者に徹しています。
これはなかなか上手い仕掛けで、
まず、のび太とドラえもんの主張は、おおむね自民党(自国党)のハト派とタカ派に対応するため、自身の内心を省察することで与党内の議論を整理できます。
また、星の抱える7つの人格は、国民感情のそれぞれに対応しており、こちらも各人格の主張を並べることで国内世論を分類することができます。
ここで、もしも1人1人の人格に肉体を与えてしまうと、それだけ多くのキャラを動かさなければならず、ストーリーが複雑になります。
この2人に集約させることで、ストーリーを展開させることなく、大勢のキャラを登場させるのと同じ効果をもたらし得ます。
そのおかげもあってか、本作はストーリー展開がきわめて単線的で、各人格(主張)も単純化されており、寓話的あるいは戯画的でさえあります。
「現代の寓話」を創る「仕掛け」としては、有効じゃないかなと思いました。
* * *ただし、…その副作用なんでしょうかねぇ(あるいは、成功/失敗は紙一重と言うべきか)、主張に迫力がないんですよね。

「ドラえもん」や官房長官の発言は、日本の保守タカ派の主張を単純化…という以上に、デフォルメされて「超」短絡的になっているので、分かりやすいけれども、恐ろしく視野狭窄で狂信的。

反対に、「のび太」の渾身の演説は、急にお花畑に入り込んでしまって、一部リベラル系のナイーブな平和論に堕しています。
ちなみに、両者に共通するのは執拗な反米感情。
このとき、もしも島田氏のポジションが両者を俯瞰する場所にあって、日本国内の左右論壇の稚拙さを揶揄したり批判したりするのが目的なら、このレベルでいいんだろうと思うんです。
「お前らの議論って、しょせん、この程度だろうよ」って。
(ただし、その場合はもっと catastrophic な結末が用意されるべきかと思いますが)
でもね、もし島田氏の心情が「のび太」の側にあって、最後の記者会見での演説が本書のメッセージなんかだったりしちゃうとしたら、…ええ〜、ちょっと拍子抜け。
「ドラえもんを殺害し、のび太を救出せよ」というのは、わりと魅力的な構図なので、最後の最後でついにおもしろくなるか…と期待してしまっただけに、落胆も大きかったかなぁ。
* * *結局ですね、全体に粗くて浅いんです。
政治小説を書きたいなら、もっと緻密でリアリティのある細部が必要でしょうし、
寓話にしたいなら、もっと端的な表現で深みのある含意がほしい。
何と言うか、小説として練り上げる前の草稿をそのまま商品にしてしまったような…、
いわば、キッチンに下ごしらえした食材を並べて「さあ、これから料理しよう」という状態を、そのまま食卓に再現しまったような…、
そんな印象でした。
* * *芥川賞最多落選(タイ)記録を持つ著者に対して、これは失礼な評価かもしれませんし、
代表作を読まずに最新作だけで著者を評価するのは控えたほうがよいようにも思いますが…、
とはいえ、本作を読んだ後では、過去の作品を読む気がしな〜い
(T_T)いつか気が向いたら、新旧『優しいサヨク〜』を読んでみようかな。