
2015年2月5日(木)
綱渡りの日々。
もちろん、とっくにバランスを崩しているので、ロープにぶら下がり、しがみつきながら渡る日々。
いいんです。
無様だろうが、恥ずかしかろうが、とにかく落ちずに渡り切ることが大事。
電車のなかでもウトウトすることが多くて、
通勤時間は延びたのに、読書量はむしろ減ったような
(>_<;)そんななかでも、つい読みふけってしまった1冊が、こちら。
『私の記憶が消えないうちに――デコ 最後の上海バンスキング』吉田日出子著、講談社、2014年11月27日、1800円
* * *いえね、私、いわゆる「タレント本」の類って、まず買わないんですよ。
いま、ざっと書棚を見渡してみても、一番近い(?)ところで、『ルービン回顧録』(笑)。
にもかかわらず、本書を買ってしまったのは、
これ、内緒の内緒なんですけど、
実は私、『上海バンスキング』(写真・左はDVD)がけっこう好きで、
ホンットに内緒なんですけど、
いつか遠い将来、あんな音楽劇を書いてみたいなぁなんて無謀にも夢想したりして、
『上海バンスキング』周りのことをチラッと調べ始めたり…したところで止まってるんですけど

そんなときに、新聞で本書の広告を見て、
「
私の記憶が…えっ
」
と驚いて、まあ、買っちゃったんですね。
* * *本書で自身の病気を公表したということで話題になったので、ご存知の方も多いかと思いますが、
吉田日出子氏は以前から高次脳機能障害という病気なのだそうです。
唐突に記憶が飛んでしまって、いま、自分がどこで何をしているのか分からなくなるような、その他諸々の症状が出る病気。
その原因というのがですね、本書によると…、
愛犬と公園を散歩しているとき、猫が飛び出してきて、犬がそれを追いかけ、リードが手に絡まって外れなくなった吉田氏が犬に引っ張られ、そのまま公衆トイレに激突し、その際に脳に小さな傷がついてしまったらしいとのこと。
本人としては、愛犬のせいで自分が病気になったなんて犬が可哀想なので絶対に認めたくないんだけど、客観的に見ると他に原因がない、ということのようです。
そんなわけで、本書は吉田氏がしゃべりたいときにしゃべりたいことをしゃべりたいだけしゃべり、
それをエディター兼ライターの小峰敦子氏がまとめたもので、5年の歳月を要したとのこと。
また、インタビューの際には母親の池田正子氏がしばしば同席しており、一緒におしゃべりしているうちに「こっちの話もおもしろい」ってことになって、1章分を正子氏の話に割いています。
実際、その波瀾万丈人生ぶりは、朝の連ドラのモデルになりそうなくらい。
(ホントになったりして)
* * *さて、本書は2010年の『上海バンスキング』復活講演を1つの目玉に据えながら、吉田氏の幼少時代から近況までを綴ったものですが、以下、印象に残ったこと、考えたことを簡単に2つだけ。

1つ、2010年の講演時、彼女はすでに発症していました。
つまり、セリフを覚えられない、段取りを忘れてしまう、精神的に不安定になる…など、さまざまなハンディキャップを背負った状態での講演。
詳細は省きますが、東京サンシャインボーイズの『ショウ・マスト・ゴー・オン』を地でいくようなドラマティックな話。
(もう、舞台化だか映画化だかの話が進んでたりして)
演ってしまう吉田氏もすごいですが、演ると決断した串田和美氏もすごいし、一緒に演っちゃったメンバーもすごい。
「もう一度、もう一度だけ、吉田日出子のまどかを観たい」って思ったんですかねぇ。
いいなぁ、と思いつつ、私だったら絶対にできない。
何度も考え直してみましたが、おっかなくって、どうしてもできない。
しかし、そんな私を鼻で笑うかのように、本書には田中絹代氏の言葉が引用されます。
「
目が見えなくなっても、やれる役があるかしら。」
ちょっと切ないけれど、素敵でしょう…吉田氏は、そう言います。

読んでいて思ったのは、「この人、別に芝居がやりたいってわけじゃないんだろうな」ってこと。
おもしろくないと思ったら、プイと劇団を辞めちゃって、花屋でバイトしながら「どうしよっかな〜」なんて。
この人はきっと、大好きな人たちとワイワイ楽しみながら、何かを作り上げるってことが出来れば、それでいいんじゃないか。この人は、そんなふうに生きたいんだ。だから、芝居を演るってのも、役を演じるっていうより、その役を、その場所で、生きたいんだ。だから、嘘っぱちの芝居ができなかったんだ。
なんか、そんなことを感じながら読んでいたら、やっぱり、そう書いてありました。
役者は、入れ歯だろうが台詞覚えが悪かろうが、…(中略)…人としてリアルにそのまま存在していなければダメなんだと、あらためて強く、強く、確信しました。私も、心からそう思います。
以上。