
2014年11月9日(日)
緑青さん。
昨日、無事、差し入れを受け取りました。
あらためまして、ありがとうございました
m(_ _)m家族でいただきます
m(_ _)m(_ _)m(_ _)m*地域性のある写真を載せてよいかどうか判断に迷ったので、ひとまず画像は割愛しました。 * * * * *さて、昨日8日(土)は、朝から授業参観

私も、ついに授業参観デビューかっ

期待と不安を胸に(

)目覚めたのですが、
娘、前日より発熱していたことが判明。この朝も38度。
というわけで、欠席。
ただし、子どもの荷物の受け渡しやらPTAの仕事やらで嫁さんだけ出かけ、
私は子どもたちのお守りをしながら、掃除洗濯など。
* * * * *そして、午後から(病床に娘を残して
m(_ _)m)やってきましたのが、こちら。
KURAKUEN企画「オトメノイノリ」作:武内紀子
演出:KURAKUEN企画
於:プロト・シアター(高田馬場)
小木敦子さんが出演されている公演で、東京あたふた関係者の皆さんとともに観劇しました。
<あらすじ>本日まで公演なので、チラシの紹介文から(あまり)外れない程度に。
* * *万引きで生計を立てている老婆。
荒んだ生活に蝕まれ、若く美しかった頃の面影は、もうどこにもない。
その隣家には、痴呆による徘徊癖のある老人が、孫の柔道青年と暮らしている。
老いた2人の共通の楽しみは、<木サスのジョー>。
木曜サスペンスで活躍するハードボイルド刑事のジョーに喝采を送る。
* * *ある日、宇宙人から<塩>をもらった老人は、禍々しき<黒い沼>を鎮めるべく旅に出ようとする。
しかし、痴呆の症状が出て、どうしても沼にたどり着くことができない。
一方、老人の<塩>と木サスのジョーの拳銃を手に入れた老婆は、
メイド服とぶら下がり健康器を引き連れて、天丼屋へ強盗に入る。
こうして、老婆の大逃走劇が始まる。
* * *しかし、塩を失い、拳銃を失い、
メイド服とぶら下がり健康器にも去られ、
老婆は、なす術を失う。
そして、満身創痍となった老婆は、
木サスのジョーと最後の対決に挑むべく、
<あの崖っぷち>へと向かう。
それは、
自らの人生に終止符を打つためか…。
はたまた、
新たな人生を切り開くためか…。
<感想など>ま、「なんのこっちゃ」と思われる箇所もあるでしょうが、そこは観てのお楽しみということで(笑)。
そして、このなかに原発問題、高齢化問題、貧困・格差問題など、現代日本の社会問題をちりばめるという趣向。

配役は、ベテラン3人が要衝を占め、中堅・若手をその周りに配置。
さすがにベテラン勢は自分のスタイルを確立していて存在感がありますし、勘どころを心得ているのでキメるべきシーンはキチッと魅せます。

脚本も、テーマやメッセージをギュギュッと詰め込んだ、キラキラ光るセリフがちりばめられていて、そこから心を打つシーンも生まれます。

ただ、それらを乗せる<物語>が…。
たぶん、私が自身を<
ものがたりや(物語屋)>と規定しているので、よけいに気になるのでしょうが。
誰しも、社会について思うことはあるわけで、でも、それだけなら「言えば」すむんですよね。
情報通信技術がこれだけ発達すると、意思表明や情報発信は簡単・安価にできるので、無料で垂れ流せばいいんです。
このブログみたいに。
しかし、ひとたび<
作品>として表現しようとするなら、メッセージを乗せて視聴者へと運ぶ<
器>(もしくは<
vehicle>)が必要になるわけで、
どれだけ魅力的な<
器>を提供できるかが勝負どころだと、私は思っているんです。
そして、その<器>というのが、私の場合は<物語>になるんですが、
「メッセージがpowerfulなら、物語が貧弱でもお客は共感する」
と言わんばかり(言わないでしょうが)の作品を、このところ1つ2つ観る機会があり、
この作品を観て、あらためて、魅力的な物語をつくることの難しさと大切さを痛感した次第です。

それから、もう1つは演出について。
本公演を観て頭に浮かんだのは、
「
全体は部分の総和に勝る」
という言葉。
これ、「システム思考」の根幹的な考え方なんですが、裏返すと、
「部分を足し合わせても全体にならない」
ということになります。
要素還元思考しかないと



となっちゃう文章ですが、要するに、部分と部分との結びつき方、働き合い方、すなわち<構造>や<メカニズム>が大切だという意味です。
本作品のなかで、個々の役者は、個々の場面で「自分の出番」をきちんとこなしていますし、個々の相手とちゃんと向き合っているとも思います。
でも、それらの相互作用の<全体>を調整している目線が感じられないのです。
もしかして、「計画」「計算」「調整」といったものを否定して、個々の役者の自然な感性に委ねるという方針なのでしょうか

あるいは、野球型とアメフト型の違いであって、前者のごとく<すきま>をものんびり楽しんでもらおうという姿勢なのか

こうなると、もう趣味の問題ですが。
* * * * *…なんて話(の一部)をですね、中野の喫茶店でしてたんですよ、あたふた前回公演関係者の皆さんと。
そして、最後にぽつりと出た話題…、
「
20年後、自分たちも、あんなふうに芝居を続けられているのかな」
…ねえ。
* * *で、高田馬場で観劇していた私たちが、なんで中野でお茶しているかというのが、次回のお話です(たぶん)。