2014年2月16日(日)
一夜あけて、快晴。
雪にけぶる富士山が雄々しく美しいです。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
あの後どうなったのか、気になる方…はいらっしゃらないでしょうが、とりあえず記録を。
* * * * *タクシー会社はまったく電話がつながらず。
通りを見ても、走っているタクシーは皆無。
これはもう、歩いていくしかない。
どこへ向かうべきか、ネットで調べていると、
おお、JRが動いてる
本数激減ながらも、ともかく動き始めたので、JRまで行けば、(ぐるっと迂回しなければなりませんが)都心に入れる。
急いで支度をして、いざ、出立

マンションの駐車場を抜け、歩道へ出た最初の一歩でいきなり足が雪に埋まり、靴の中にもちょっと。
ええい、これくらいっ。濡れるのは覚悟のうえよ。(タオルと替えの靴下は用意)
現状、車道はそれなりに轍ができているのですが、車がダラダラと走っているので、とても歩けない。
一方の歩道は、まったく雪かきされておらず、勇敢なる先人たちがいくらか踏み固めた程度。
そして、「
ゆっくりでも歩いていれば、いつかは駅に着く」と信じて、駅に向かう幹線道路まで、あと20mほどのところに来たとき、あの事件が…。
車道で解けた雪が歩道に流れてきて、氷水の大きな水たまりが。
仕方ないので、迂回すべく雪の積もったところへ足を踏み入れたとたん、ズボッと膝まで埋まり、その下には…やはり氷水の層がっ

くるぶしまで水につかり、その冷たさが脳天まで突き上がって、
「
こりゃ、たまらんっ」
あえなく退却
* * *ウチに戻り、かじかんだ足を温めながら、しばし呆然。
閉じ込められている…その実感がゆっくりと湧き上がってきます。
しかし、それ以上にショックだったこと。
電車が止まってるっ

とか、
バスもタクシーも走ってないっ

とか、
文句を言っていましたが、そもそも、
私に雪仕様の準備ができてないっ
(ToT)「ド田舎育ちですから」なんて言っておきながら、長い都区内生活にすっかり慣れてしまい、気づいてみると、私は長靴1つ持っていないのでした…。
…原点に帰ろう。そして、私が準備したのは、じゃん。

靴下のうえからビニール袋で覆ってゴムで止めただけ。
靴は、すでに濡れているんだし、もうしょうがない。
靴下さえ濡れなければ、ま、我慢できるでしょ。
これ、子どもの頃にやってました。
雪が積もった田んぼの両端にかまくらを作り、それぞれ旗を立てて本陣とし、雪合戦(やがて肉弾戦)をしながら、先に敵本陣の旗を奪ったほうが勝ち。
長靴を履いていても、もちろん雪が入りますし、さらには敵をつかまえて長靴の中に雪を詰め込んだり、襟首から背中に雪を流し入れるという攻撃もあり、ま、そりゃビショビショになりますわな。
そんなとき、このビニールで足を覆っておくと、(いくらか)雪を防げるわけです。
* * *で、いざ、脱出


今度は裏口から。
裏道は、車通りが少ないので轍も細いのですが、車道を歩けます(というか、「歩道」なんてないし)。

どうにか幹線道路へ出て、歩きながら気づいたこと。
バスも走っておらず、タクシーの姿も(私の見たかぎりでは)なく…、しかし、
クロネコヤマトは走っていた。
偉いぞ、クロネコヤマト

(ま、ほかの運送トラックも走ってましたが)
* * *駅に着くと私鉄は都区内区間のみ運転再開とのこと。
しかし、この辺りはまだ目処が立たず。
振り替え切符をもらってJRへ。
これで安心…って、30分に1本かよっ


電車を待つホームで寒風に耐えながら、ふと気づいたこと。
向かいのビルに入った美容院がフツーに営業していて、中年の客が雑誌を読みながら髪をセットしてもらっている…
その向こうのカラオケ屋さんに、けっこう年配の夫婦(らしき)客が入っていく…
なんか、強ぇ〜。第二次大戦後、進駐軍が地方の農村へ入っていったとき、虐げられた無知で貧しい農民たちを想像していたら、農家のオヤジが縁側で茶を飲みながら俳句を詠んでいたりして、ショックを受けた…という話を思い出しました。
* * *山手線に乗ってしまうと、「非常事態」感はまったくなく、
東京駅で一番早い新幹線に飛び乗り、一路京都へ。
ビニール袋を脱ぎ、靴を乾かしながら、車内用に持ってきた仕事に着手。
熱海を過ぎた辺りで、もう快晴。
なんだったんでしょ、あの苦労は。
名古屋を過ぎたところで、車内アナウンス。
この列車は、ただいま定刻を1分遅れで名古屋を出発致しました。
電車が遅れ、皆様にご迷惑をおかけしておりますこと、お詫び申し上げます…。…って、これ、ぜっっったい、
「
オレたち、この状況でも1分しか遅れてないぜ。うふっ、すごいだろ」
って、自慢してるだろ〜。

なんて思うついでに、ぼんやりと考えていたこと。
一般に「首都圏」というと関東の1都6県を指すようですが、本気で守っている首都機能となると範囲はかなり狭まるわけで、震災後に流行った耐性(tolerance)や回復力(resilience)なんて観点から今回の公共交通機関のパフォーマンスを見ると、だいたい…
山手線が
Wall-Sina 環七が
Wall-Rose環八と武蔵野線の中間辺り、皇居と朝霞駐屯地を半径とする円周くらいのラインが
Wall-Mariaかなぁと。
したがって、私の居住区なんぞは、はなっから
Giant Fieldなわけですね。
国家の保護、じゃなくて公共交通機関に依存できず、自力救済(=自家用車)で対処するほかない。
そういえば、実家で暮らしていた頃は、公共交通機関なんて、ほとんど使わなかったですしね。
* * *関ヶ原を越え米原に入った辺りから空が怪しくなり、京都に入るとけっこうな雨。
事前にバスの路線を調べていたものの、(予想どおり)よくわからないので、タクシーで現地へ。
受付の方が知り合いだったので、軽く挨拶をして中へ。
シンポジウムは、もう終盤。
それでも、配布資料に目を通し、議論を聞いていると、そこそこ論点は分かった気になり。
1時間強で会場を後にし、帰りは環状バスに挑戦。
一応、ホントに京都へ行ったという証拠代わりに、こちら。

京都タワー。
今後も1〜2か月に1回くらいは京都へ行くことになりそうなので、次回は上ってみたいと思います。
そして、のぞみを待つ少しの時間でお土産コーナーへ。

何を買えばよいのか分からず、嫁さんに言われたとおり漬け物のセットを購入。
それから、娘と息子に雑貨を、会社用に饅頭を買ったところで列車到着のアナウンス。
慌ててエスカレーターを駆け上り、車両に乗り込んだところで、弁当を買い忘れたことに気づき
(ToT)最寄り駅でビニール袋を再装着し、また徒歩で帰宅。
到着は23時。
ああ、疲れました。
* * * * *あっ、今日、
もりさんと
あきさんの芝居を観に行くので、八つ橋をお土産に買って帰ろうと思ってたのに、すっかり忘れてたっ

ごめんなさ〜い、手ぶらで行きま〜す
m(_ _)m