
2013年2月9日(土)
今週は娘のひいた風邪が

息子

嫁さん

私へと拡大し、
がぞぐ ぜーびん がぜびぎ でずぅ
という悲しい1週間でした。
で、どうにか快復してきたかなぁと思ったら、引き続いて
くしゃみ、鼻づまり、喉の腫れ…あれ、何だか身に覚えのある、この症状、この感覚…
あ、花粉症だ。気象庁のサイトで、花粉前線の南関東到来は2月15日頃と書いてあったので、まだ先だと思っていたのですが、よくよく見ると、現在の東京の花粉状況は「少ない」
…つまり、飛んでるってことですよね。
ぬかったっ!せっかく、
早めに病院に行き、薬も買い込んできたというのに(しかも、先生からは2月に入ったら飲み始めるようにと言われていたのに)、「まだ、いいよな」とサボっていたのでした。
ああ、何がベテランだ、何が迎え撃つだ

というわけで、今日から慌てて薬を飲み始めました。
本日より、私の花粉シーズン 開幕 と致しますm(_ _)m
(だから何だってことは、ありませんが)
* * * * *本来ならば(?)ここで花粉ネタでも一つ二つ書きとどめてブログを終えるところですが、今週はそんなこんなで更新してませんでしたので、こちらを…
* * * * *◯176
『アリアドネの糸』ハビエル・ソブリーノ文 エレナ・オドリオゾーラ絵 宇野和美訳、2011年6月26日、光村教育図書、1500円(El hilo de Ariadna, text by Javier Sobrino, illustrations by Elena Odriozola, 2006, Thule Ediciones, 2009)
<あらすじ>女の子の名前は、アリアドネ。
アリアドネは、操り人形を壊してお父さんに叱られたので、悲しくなって寒空の下に飛び出してきました。
ポケットには、その操り人形の糸の玉。
アリアドネが糸玉をポーンと蹴り上げると、糸玉はほどけながら遠くへ遠くへ飛んでいきます。
木にひっかかった糸はブランコ。
アリアドネは、大きく揺れて、凧のように空高く舞い上がります。
迷路のような町を見下ろしながらカモメの間を通り過ぎると、
今度はピンと張られた糸の上を綱渡り。
それから、それから、
さなかを釣ったり、
縄跳びをしたり、
雨が降れば、傘にもなって。
もう、帰らなきゃ。糸が伸びる先は、おうちの玄関。
ドアを開けると、お父さん。
「さっきはどなって、わるかったな。」<感想など>
この作品、とりあえず、オープニングが完璧です。
アリアドネは、げんかんのドアをバタンとしめて、かいだんをかけおり、
おもてにとびだしました。
なみだが、つめたい風にこおります。
さむいとおもったら、手ぶくろをわすれてきていました。
うわびのポケットに手をいれると、
ぐるぐるまきにした糸のたまがはいっていました。
お父さんのあやつりにんぎょうの糸です。
この描写と比較してもらいたくて、上の<あらすじ>では、あえてつまらなく書きましたが、

ある「事件」から物語が始まり、

しかし、ドアの向こう側で起こった「事件」については何も語らず、ドアのこちら側から描写をスタートさせているにもかかわらず、

「バタン」「かけおり」「とびだし」「なみだ」「おとうさん」「あやつりにんぎょう」などのキーワードから、事件の内容と主人公の心情が推察でき、

そのなかに季節感を織り交ぜながら、

最後に、物語のキーアイテムである「糸」が登場する、
という仕掛けです。
まるで映画のオープニングを観ているかのような、非常にドラマティックかつ効果的な導入ですね。

その後、アリアドネは糸に導かれて空想と現実の交錯した世界を旅し、糸をたどって再び「おうち」へと戻り、そこで、父親との「和解」を得ます。
* * * * *ご存知の方も多いと思いますが、「アリアドネの糸」とは、ギリシャ神話に源をもつ成句。
クレタの姫アリアドネは、怪物ミノタウロスへの生け贄として迷宮に送り込まれる若者テセウスに恋をし、剣と糸を与えます。
テセウスは、迷宮の入り口に糸を結びつけ、剣でミノタウロスを退治すると、糸をつたって迷宮を脱出、アリアドネとともにクレタ島から旅立ちます。
そこから、「アリアドネの糸」は、難問を解いたり、物事を解決したりするためのカギの意味をもつようになったそうです。
本作品は、その神話を下敷きにしたものですが、転じて
父との「不和」の原因として物語に「糸」を埋め込み、アリアドネ自身がその糸に導かれ、絡まった糸玉がほぐれていくように、父との「和解」へとたどり着く、
という構造に仕立てているところが、新機軸と言えるでしょう。
* * * * *このところ、自己主張も強くなり、弟や母親と衝突することも多い我が娘を、
私はついつい厳しく叱ってしまうのですが、
その後の「和解」なり「赦し」なりというのが、なかなか難しく、
己の過ちを認めさせ、改善を約束させつつも、
しかし、
1秒たりとも自分から娘への愛情を途切れさせない
自分が両親から愛されていることを娘に疑わせない
というあたりが、大切かなぁ、などと試行錯誤しております
* * * * *そんな私は、この作品もついつい父親目線で読んでしまい、その結果どうしても、
チューリップの
「魔法の黄色い靴」(作詞・作曲:財津和夫)
を思い出してしまうのですが…、
…ちょっと違う