
2012年11月23日(金)
本日は、朝一番から研修、すぐに退席して昼まで取材。
で、ちょっとだけ会社に寄って、大急ぎで上野へ。
こちらや
あちらでもご一緒してます知ちゃん&けいこちゃんと待ち合わせて、バレエを観に行きました。
お前がバレエなんて顔かっ
なんて言われそうですが、
まぁ、そのとおりでして…
f^_^;)バレエのことは全然わからないまま、年に1回、知ちゃんに誘われて観に行くのみで、今日もバレエ通の2人の後ろを着いてきたのでした。
で、じゃん
マリインスキー・バレエ 2012年 日本公演
「アンナ・カレーニナ」於:東京文化会館(上野) 14:00〜
5階席1列目だったので、ちょっと足がすくみましたが、舞台が始まるとすぐに忘れてしまいました。
今回のお目当ては、
ウリヤーナ・ロパートキナ。
背が高いというか、手足が長いというか、体躯が他のダンサーと明らかに違うので、終盤まで地味な衣装だったにもかかわらず、ひときわ目立つ存在。
バレエど素人の私でも、とにかく動きの美しさに目を奪われました。
プログラムによると、もともと3幕だったものが、現在は2幕・3幕をつなげて2幕構成で上演されているそうです。
以下、このプログラムを参考にざっくり内容紹介。
(ただし、役名は岩波文庫/中村融訳に従います)
<プロローグ>
駅。
舞台中央に黒い布のかかった棺のような台座。その上に横たわる
赤いドレスの女。
行き交う人々がそれを見て驚き、嘆き悲しむ。
上手・前に立ちすくむ
軍服の男。
<第1幕>
駅。
アンナは嫁ぎ先のペテルブルグから兄のオブロンスキイ(スチーワ)に会うためモスクワへ。
そこで
ウロンスキイと出会う。
その後に、物語の結末を予感させる人身事故。

舞踏会。
ウロンスキイはアンナに恋をする。
プロポーズを待っていたキチイを尻目に、アンナと踊り続けるウロンスキイ。

途中駅
アンナはウロンスキイを拒むべく、早々にペテルブルグへ。
しかし、アンナを追ってウロンスキイもその汽車に乗り込む。
途中駅でウロンスキイと再会し、愛を告白されるアンナの心にうずきが走る。

ペテルブルグ
夫・
カレーニンと最愛の息子・
セリョージャの元へ帰り、落ち着いた生活を取り戻すアンナ。
ウロンスキイは当地の社交界に入り浸り、執拗にアンナに求愛する。
徐々に、ウロンスキイを受け入れるアンナ。
不貞を諌めるカレーニン。

夢
駅での事故
アンナ、カレーニン
幻想から醒めたウロンスキイの元へ、アンナが現れる。
<第2幕>
競馬場。
将校たちのレース、集う社交界の人々。
ウロンスキイの馬が転倒し、取り乱すアンナ。

寝室。
重い病に倒れたアンナは、夫に不貞の許しを求め、ウロンスキイを拒絶する。
絶望し、自殺を図るウロンスキイ。
その知らせを聞き、ついに夫と息子を捨てて、ウロンスキイの待つイタリアへ旅立つアンナ。

帰郷。
息子・セリョージャを忘れられず、ペテルブルグに戻るアンナ。
しかし、カレーニンは母子を引き離す。
歌劇場でも人々から冷淡な仕打ちを受けるアンナ。
もはや、自分が社交界から閉め出されていることを思い知らされる。

諍い。
孤立していくアンナに、徐々に幻滅していくウロンスキイ。
諍い、和解、また諍い、そしてすれ違い…

駅。
子供を奪われ、愛を失い、立ちすくむアンナ。
背後から迫る汽車。
そして…。
<いくつか>つまり、アンナの兄・スチーワと妻・ドリイの家庭事情はもちろん、もう一方の柱である(というか、メインメッセージはこっちだと思うのですが)
レーヴィンとキチイの物語がほぼ完全に削除されています。
当然ながら、
腐敗し、享楽的・退廃的な都会の貴族社会と、貧しく素朴ながらも清く力強く生きる農村社会とを比較することで、前者を批判し、後者を賛美し、人生の意味を問いかけるという、作品本来のテーマは失われています。
そして、アンナとウロンスキイに、カレーニンとセリョージャを織り交ぜた「愛に生きた女の悲劇」に仕上がっているわけです(プロローグはアンナの死を示してます)。
…ちょっと衝撃。
何しろ、トルストイの原作では、アンナの死はクライマックスではあっても、そこでは終わらず、レーヴィンの次の言葉で締めくくられていますので。
しかし、今やおれの生活は、…(中略)…以前とはちがって無意味でないばかりか、善の疑いなき意味をもつものなのだ、そしてこのおれにはそれを自分の生活の中に導入する力があるのだ!
ですが、まぁ、バレエですし。
農村で大地に根を張り、素朴ながらも力強く生きていくレーヴィン一家の姿では、劇的なエンディングにならないでしょうからね。
この長編小説を約90分の舞台上でドラマチックに観せるため、何を捨てるかといったら、これが正解という気もします。
…というわけで、同伴の女性お2人は「感動したね」「泣いちゃったね」と大満足の様子だったのですが、私は感情の入れどころがなく、「なるほどね」的な

でもまぁ、原作との違いを気にせず独立した作品と考えれば、非常に優れた舞台で、個々の踊りも美しく、文句のつけようがありません。
また、私はモダン(あるいはコンテンポラリーというのでしょうか)のダンスもほとんど見たことがなかったので、本作品は非常に勉強になりました。
そうした意味で、もちろん、私も大満足です。
<ついでに>カーテンコール。
鳴り響く喝采。
笑顔で応えるダンサーたち。
そんななか、ふっと手前に目を落とすと、
オケピ。
舞台上の華やかな世界のすぐ下で、「ああ、終わった」とでもいう感じでパラパラと去っていく演奏家たち。
拍手をしながら、その文字どおり光と陰の対照的な世界を、見るともなしに見ておりました。
<帰宅後> けいこちゃんに急用ができてしまったので、閉幕後は軽く(でもないですが)お茶をして解散。
久々にゆっくり話ができてよかったです。
そして、帰宅すると、娘が両手を後ろに回したまま走ってきて、
きょうは、きんろうかんしゃのひです
と差し出したのが、こちら。
おしごとごくろうさまの文字のほか、今年はシールがびっちり。
そして、机には一通の手紙が。

(訳:
明日、ピクニックごっこをするからね
)
市場経済と同様、父娘(男と女

)の間にも、フリーランチはなかったのでした

でも、だったらせめて「その他の醸造酒(発泡性)」じゃなくて、ビールにしてよ、と思うのですが、この訳はまた後日でも