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ガラスの仮面 48巻

ガラスの仮面48

2011年4月30日(月)

こんにちは、絶不調の本間宗南です。

木曜からの下痢と発熱、ゆっくりと快方に向かっておりますが、あまり飲み食いできないまま、金曜・土曜は仕事、日曜は帰省する嫁さん&子どもを東京駅まで送った後、1人で家のプチ大掃除
我が家は春と秋にプチ大掃除をします。そうしておくと、年末の大掃除が楽になるので。

そして本日は、朝から休日出勤、溜まっている仕事をチョチョイと片付けた後、夜は友人たちと

…のはずでしたが、会社へ行こうにも腹に力が入らず、また友人に風邪をうつしてもいけないので飲み会もキャンセル。おとなしく、自宅で静養することに致しました

しかし、明日は午前・午後と2つの会議。午前の分は金曜日中に準備を終わらせましたが、午後の会議の準備ができてない 今日やるつもりだったのに

危うしっ、宗南

資料も持って帰ってないし…思い出しながら、何とか準備するか。
そう思って朝からNIRVANA(嫁さんの趣味です)をかけ続けているのですが、ちっともテンション上がらず

やっぱり危うしっ、本間宗南

というわけで、なかば現実逃避的に、とりあえずブログでもf^^;)

   *   *   *   *   *

ガラスの仮面 48巻「第14章 めぐりあう魂(2)」
作:美内すずえ 白泉社 2012年3月

いやぁ、芝居の公演と仕事の繁忙とが重なって、まったくノーチェックでした。
もう2か月も前に出ていたのですね。

思い返すと、いつも通る道沿いの書店にも例のポスターが貼られていたのですが、ちっとも目に入らず。
気づいてから購入までにも2週間、そして2日前にやっと手に入れ、読むことができました。

考えてみると、新ブログになってからは初登場ですね。
以下、今さらですが、ネタバレご注意。

<亜弓>

今回は、まず亜弓からスタート。

前47巻のラストで、大都映画撮影所の第21スタジオに呼び出された小野寺先生と一真役の赤目慶

待ち受けていた歌子亜弓が本巻で披露したのは、これまでの稽古とはまったく違う天女阿古夜

失われつつある視力には頼らず、聴覚、嗅覚、その他全身の神経を集中して空間と相手の状況を把握。ぼんやりと見える撮影機材を「梅の谷」の木々に見立てるなど、かえって想像力を発揮することに成功しています。

また、運動量を抑えざるを得ない分、役作りの主眼は人物の内面性へ。自然と調和した立ち居振る舞い、機微細やか(阿古夜)/ダイナミック(天女)な喜怒哀楽の表現。
以前の飛んだり跳ねたりといった稽古を見て「これって、演技? マヤに太刀打ちできないんじゃないの?」と思っていた私は、「ああ、あれはココへ持ってくるための前振りだったのか」と美内先生に脱帽。

こうして、小野寺先生、赤目慶2人の了解・協力を(有無を言わせず)取り付け、亜弓は無謀とも言える挑戦に乗り出すのでした。

<ハミル>

稽古場に戻った亜弓の目の異常にさっさと気づく、写真家・ハミル

それをきっかけに2人の関係は急展開
これまでストーリーの展開上、大した機能を果たしておらず、「この人、何で出てきてるんだろう。イラナクネ」と心から思っていたのですが、まさか、こんな役どころに入り込んでくるとはっ

これによって、マヤと亜弓を取り巻く要素がほぼ完全にバランス(1対1で対応)することになりました。
一世一代の勝負を前に、マヤの対抗馬として完全に対等な位置にまで持ってくるため、亜弓の条件を徹底的に整えていったことになります。

ジョーを輝かせるためには、力石をしっかり描き込まなければならないのと同じですね。

<紫織>

前巻、ボーンヘッドで失点を重ねた挙げ句に「愛のびっくりクルーズ大作戦(命名:本間)」で痛恨のタイムリーエラーマヤに決勝点を献上してしまった紫織

本巻でとうとう速水から退場宣告を突き付けられてしまいます。

そのことにショックを受けた紫織は、絶望して最悪の選択最悪の結果に。

主役でない彼女にこのカードを切ってしまった以上、紫織が快復することがあってはならない(と私は思う)ので、これによって紫織は戦線離脱することになる…んじゃないかと思います
このカードを切った人物を快復させるためには、そのプロセスを主役級の丁寧さで描写しなければならなくなる(はずだと思う)ので。そりゃ、冗長さを問わなければ何でもできますが、『ガラカメ』は長くはあっても基本的にムダはないと思ってます。

逆に言うと、紫織を戦線離脱させるためにこのカードを切ったのでなければ、この選択は説明がつかない、と私なら考えるわけです。

この見立てを覆す筋書きもあり得ます(例えば、「みんな枯れてしまえばいい…」が紫織の「芝居=次なる一手」だったら、など)が、今のところ、魅力のある選択肢は思いつきません。

<速水>

そして、紫織のこの行動がどこに波及するかというと、もちろん、速水とマヤ。

特に、紫織が快復しない以上、速水は生涯にわたって、このことを「」として背負っていかなければなりません。

ならば、速水はこの業を背負ったまま、マヤとの愛を手に入れられるか(=幸せになることを良しとするか) と考えると、どうも難しい気がするのです。

可能な手段としては、「マヤによる速水の救済と解放」をパッと思い浮かべるのですが、「魂のかたわれ」というコンセプトは、良くも悪くも非常に対等かつ主体的で、一方が他方を救済するという関係ではないような…。

とりわけ、一方が呪縛され逡巡しているときに、他方の力でその呪いから解き放ってあげるという、伝統的な物語の手法が使えるような関係には見えません(と、書いているうちに自信がなくなってきますが)。

あくまで、互いが互いを求め合わずにはいられない、…裏返せば、主体的・自発的に求め合って初めて成立する関係ではないでしょうか

だとすると、速水は自力で紫織の呪いを解かねばならないわけですが…う〜ん、思いつきません。

そして、もしそうならば、マヤを愛する資格を持たない速水はマヤを諦めざるをえず、「魂のかたわれ」たる2人は結ばれることなく悲運を遂げることに…

   *   *   *   *   *
しかし、そんなラストをファンが許すだろうか…
いやぁ、2人が結ばれることを何十年も待ち続けてきたファンが、そんな結末を見たら…

ならば、絶対に克服できないと思われるこの試練を乗り越える方法が、どこかに

美内先生、どこかに布石を敷いてあるのでしょうか
今度、時間のあるときにバックナンバーを検証する必要がありそうです。

<桜小路とマヤ>

まぁ、次回、大きく展開しそうですから、そちらで。


いやいやぁ、『ガラカメ』って、ほんっと、勉強になりますね。
じゃっ

あ、現実逃避が終わっちゃった
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ちょっと更新

2012年4月26日(木)

ああ、今日は下痢でした。
(お食事中の方、ごめんなさい)

午前11時頃から午後8時頃まで、約2時間おきに、トイレへ。
外出先、お客様との打ち合わせ前に、トイレ
外出先、お客様との打ち合わせ後に、トイレ
午後、社内のミーティング後に、トイレ
夕方、トイレ
帰宅時、電車に乗る前に、トイレ

それは、滝でした。
何かに強制されてでもいるかのように。
今までに経験したことのない、滝。

私の体から、これほどの水分が失われてもよいのだろうか。

そう思いました。

飲み過ぎかしら?
先週食べた馬刺?
飲み過ぎ?
先日食べたどぜう?
やっぱり飲み過ぎ?

それにしても、ふらふらするな。
不思議と空腹感はない。
でも、ふらふらするな。

もしや、と思って体温計を取り出す…37度少々。

はたと思い当たる、2〜3日前の喉の痛み。
あ、わかった。
娘の風邪がうつって、喉は気力でしのいだんだけど、胃腸に来ちゃったんだ。

なんだ、風邪か。
飲み過ぎじゃなかったんだ。

じゃ、飲んでもいいのかな?

いや、夜中に大変なことになっても困るな。

冷蔵庫に残っていた、冷や奴&ワカメ
コンビニで買って来た、インスタントのスープはるさめ
同じく、ドリンクゼリー
う〜ん…お茶と水。

ま、これでいいや。

何を飲んでいいか分からないから、薬も飲まなくていいや。

さて、ふらふらしてるけど、寝るには早い。

そうだ、借りてきたDVDを見なくちゃ。

『バトル オブ シリコンバレー』

ジョブズvsゲイツのアレですな。

興味を感じつつも、パッケージにいまいち心惹かれず、手が伸びなかったのですが、ちょっとした仕事の都合上、参考までに見ておいたほうがよさそうな状況になったので、借りました。

さてさて。

   *   *   *   *   *

いや、そんな話じゃなくて!(長っ)

ブログカレンダーカウンターを付けてみました。
当然なのでしょうが、カウンターは1から始まってしまいました。これまでにご来場くださった皆様、数に入ってなくて、ごめんなさい

画面設定の方法が、やっと、少しだけ分かってきました。
でも、どうすればカウンターの位置をもっと上に持って来れるのか、まだ分かりません。

ま、ゆっくりやります。

喉が痛い。やっぱり、風邪薬を飲んでおこう。

ではでは

おすすめ絵本9:サーカス

サーカス2

2012年4月25日(水)

さて、本日おすすめしますのは、こちら。

◯36声にだすことばえほん サーカス中原中也 にしむらあつこ・絵 齋藤孝・編、2008年9月25日、ほるぷ出版、本体1,200円

あの

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

でご記憶の方も多いのではないかと思います。

図書館で物色していて、

え、中原中也絵本

と意外に思ったので、取り上げてみました。

<あらすじ>

幾時代かがありまして
 茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
 冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
 今夜此処での一と殷盛り
  今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁
 そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
 汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


<感想など>

<「声にだすことばえほん」シリーズ>
で、どうして中原中也絵本になっているかというと、「声に出して読みたい〜」などでおなじみの、齋藤孝教授の編纂で

声にだすことばえほん」シリーズ

というのが、ほるぷ出版から出ているんですね。

このシリーズ、その他のラインナップを見てみると、

知らざあ言って聞かせやしょう(歌舞伎「白波五人男」より)
寿限無(落語)
春はあけぼの(枕草子)
吾輩は猫である(夏目漱石の小説『吾輩は猫である』より)
祇園精舎(『平家物語』より)
ゆく河の流れは絶えずして(鴨長明『方丈記』より)
外郎売(早口ことば・物売り口上)
走れメロス(太宰治の小説『走れメロス』より)
初恋(島崎藤村の『初恋』より)


などなど、けっこう面白いものが並んでいて、いずれも言葉のリズム、音の調子の優れた作品ばかり。
なるほど、よいセレクションだなぁと思いました。

<子どもと中也>
ではなぜ、この中に中原中也が入ってくるかと言いますと、本書のあとがき「子どもの心に染みこむ中也の」で齋藤氏が興味深いことを書いているので、ご紹介します。

私が「サーカス」をNHK教育テレビ「にほんごであそぼ」でとりあげてもらった時、青年が読む作家と思われていた中也のを、子どもに伝えるということは多くの人の発想にないことだった。しかし実際には3〜5歳くらいの幼児たちに「サーカス」はたいへん受けた。このの「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という空中ブランコの音が、幼児たちの心にすっと入っていったのだった。


それが、その、まったくそのとおり

私が図書館で借りてきた絵本を手提げ袋に入れて置いておくと、娘がそれを引っ張りだして読むのですが、その中からサッと手にしたのが本書。

そして、まさに「声に出して」読み始めるのです。

いくじだいかが ありまして
 ちゃいろい せんそう ありました

いくじだいかが ありまして
 こんや ここでの ひと…さ、か、り


ま、子どもはだいたい音読するのですが、そこで、

私  おもしろかった?
娘  うん。ここ、おもしろいんだよねぇ。

と指差したのが、やはり、

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

の、空中ブランコ。

<「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という「発明」>
齋藤氏は続けます。

ランコは子どもたちにとって身近なものだが、その様子を音で表そうとすると、普通は「ギコギコ」や「ゆ〜らゆら」となる。しかし、中也は「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と表現した。これは、奇跡的な「発明」だと思う。歴史上、誰もこんなふうには言えなかった。(抄:本間)



さらにすごいことに、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」はもはや立派に日本語として認知されているわけですが、この中也ののこの空中ブランコを表現する言葉としてのみ存在しています(たぶん)。

例えば「グルグル」なら、目玉やら、腕やら、時計やら、いろんなものの様子を表現する場合に使いますが、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」がこれ以外に使われているのを、私は寡聞にして知りません。

用例が一つしかない日本語。

まさに、あの空中ブランコを表現するために「奇跡的に発明」された言葉なんだなぁ、と思うわけです。

さらにさらに、これらの言葉は、空中ブランコ一般を表現しているのではありません。

いま一度、齋藤氏の言葉を引用・要約しますと…

一昔前のサーカスには、ちょっとうらぶれた、さみしい、少し恐いようなイメージがあった。お祭りのような非日常の場所なのだが、突き抜けた明るさではなく、何か底知れない闇がある。
しかし、それは恐怖感ではない。「ゆあーん ゆよーん」から感じられるように、この「サーカス」を貫いているのは、何とも言えない、力の抜けた楽しさだ。それは単に明るい楽しさではなく、さみしさの混じった楽しさとでもいうべきものだ。


つまり、現代のボリショイサーカスなどの空中ブランコを「ゆあーん ゆよーん」と表現すれば、きっと誰しも違和感を感じるのであって、ある種の時代的・社会的文脈の中にある「サーカス」を象徴する擬態語としてのみ「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」は存在しているということです。

ここに、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」のユニークさ(独自性、特殊性)の源泉があるのでしょう。

<明日から>
…さあさあ、そろそろ、脳内でリフレインし始めましたね。

明日から、ふと気を緩めると、

ゆあ〜ん ゆよ〜ん ゆやゆよ〜ん

って、ブツブツつぶやいちゃってますから、どうぞご注意を。

ふふっ

LOVE HAWAII 2012 in YOKOHAMA

20120421LH

2012年4月21日(土)

朝、目を覚ますと、嫁さんが巨大な虫に…は、なっていなかったのですが、ひどいかすれ声に

   風邪
嫁さん 風邪

息子娘と拡大して来た我が家の風邪は、ついに嫁さんへ。

困ったな。…ちょっと悩んだのですが、母子3人が病院へ出かけた後、洗い物やら洗濯やらを申し訳程度にやって、私は一路、横浜へ。

   *   *   *   *   *

何となく、年中行事のようになってきました、このイベント。

H.I.S. presents LOVE HAWAII Collection 2012 in YOKOHAMA

旧ブログでも何度か紹介しております、知ちゃんこと水町知美さんのフラ・スタジオが今年も参加するということで、私も行ってまいりました。
何だか、年に一回、ここでしか彼女のダンスを見ていない気もして…m(_ _)m

   *   *   *   *   *

で、1時間ほど早く到着してしまった私は、せっかくなので港観光に。

みなとみらい線日本大通り駅を降り、海に向かって通りをほぼ直進すると大桟橋なのですが、まずは右へ曲がって…

20120421山下公園

山下公園へ。遠くに見えるは、氷川丸。
本日はあいにくの曇天模様に波も高く、花粉少なめ。寒かったです。

反対側にカメラを向けると、本日の会場、大桟橋(ホール)

20120421大桟橋

続いて、大桟橋を横目に見ながら、(昨日、会社の同僚に教えてもらったばかりの)象の鼻パークの中にある象の鼻テラスへ。

20120421ゾウの鼻テラス

何と言ってよいか分かりませんが、あるんです、こういうのが、店内に。
腹が減っていたので、軽食を。

20120421ゾウの鼻water

バンバンジーサンドと象の鼻水…じゃなくて、象の鼻 Water。
この他、象の鼻Beerなんてのもありましたが、今日は自粛しました。

時間もないので、ちゃちゃっと食事を済ませると、急いで赤煉瓦へ。

20120421赤煉瓦

ただいま、Flower Garden 2012 というイベントをやっているそうで、こんなのや、

20120421FG1

こんなのが、

20120421FG2

ありました。

おっと、時間切れ。
知ちゃんたちの教室は、たしか14:20から。ビデオ撮影を約束していたので、遅れるわけにはいきません。

と言いつつ、大桟橋から見たベイブリッジ

20120421ベイブリッジ

で、14:00過ぎに会場入り。会場の大半を占めるハワイアングッズ販売店の間を練り歩き、娘のお土産にとTシャツを探したものの、どこも「子供用はお作りしてないんですよ」とのこと。

がっかりしつつも、客席(を仕切る柵の後ろ)中央付近に陣取り、ビデオを準備

…あ、ビデオ撮影にいっぱいいっぱいで、写真は撮れませんでした

   *   *   *   *   *

イベントの後でお茶でも、と約束していたのですが、さすがに帰って晩飯を作らねばならないと思い、知ちゃんはじめ久々に会う友人たちと軽く話をしただけで、失礼させていただきました

今度、また飲みましょう
今日のビデオはDVD-Rに焼いて、持っていきますので(ちょっとミスってます、ごめんなさい

おすすめ絵本8:ぼくのブック・ウーマン

bookwoman0

2012年4月18日(水)

さて、今回はガラッと方向性を変えまして、読書をテーマとした絵本です。

◎30ぼくのブック・ウーマンヘザー・ヘンソン=文 デイビッド・スモール=絵 藤原宏之=訳、2010年4月、さ・え・ら書房、本体1,400円(That Book Woman, text by Heather Henson, illustration by David Small, Pippin Properties, 2008)

<あらすじ>
舞台は1930年代のアメリカ・ケンタッキー州。
主人公の少年はカル。家族は父さんと母さん、じいちゃんとばあちゃん、3人の幼い弟たち、そして妹のラーク

長男のカルは、父親を手伝って畑を耕したり、牛や羊の世話をしたりしています。
なのに、ラークときたら、暇さえあれば、鼻をくっつけるようにして、本ばかり読んでいます。

ただし、カルの家は山の高いところにあって、学校はその山を下った小川のそばにあるので、翼でもないかぎり、カルもカールも学校に通うことはできません。

   *   *   *   *   *

そんなある日、赤土色の勇ましい馬に乗って、ひざたけのズボンをはいた女の人が、山道を登ってやってきます。
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彼女は、荷馬図書館員(Pack Horse Librarian)、通称ブック・ウーマン(Book Woman)です。

ブック・ウーマンは、カルの家にやってくると、カバンの中から本を取り出し、テーブルの上に並べます。
ラークは目を輝かせます。
その様子を見て、父親は言います。「本と木イチゴを交換しよう。
カルは心の中で叫びます。「それは、母さんにパイを作ってもらうために、僕が摘んできたんだっ!

しかし、ブック・ウーマンは首を振ります。
お金はいりません。2週間たったら、もっとたくさんの本と取り替えにくるわ。

そして彼女は、雨の日も、霧の日も、山を登って本を届けに来ました。
bookwoman2
bookwoman3
bookwoman4

やがて冬がやってきて、吹雪の中、カルたち家族が家から一歩も出られず、暖炉を囲み、体をくっつけあってじっとしていると、

トントン

と窓ガラスを叩く音が…。

彼女は、家の中に冷たい風が入り込まないように、ドアの隙間から本を手渡しました。
bookwoman5

父さん  「今夜は泊まっていけばいい。
ブック・ウーマン  「この馬が、私をちゃんと家まで連れて行ってくれます。

窓越しに、去っていく彼女の姿を眺めながら、カルは考えます。

勇気があるのは、馬だけじゃない。
乗っている人だって、そうだ。


突然、カルは、どうしても知りたくなります。
彼女が、風邪をひくことも、危ない目に遭うことも恐れずに、ここにやってくる理由を。

そしてカルは、ラークのところへ行くと、一冊の本を差し出します。

なんて書いてあるのか、教えて。

ラークは、笑いもしなければ、からかったりもせず、かわりに、カルの座る場所をあけてやります。
bookwoman6

そして兄妹は、静かに本を読み始めたのでした。


やがて、長い冬が終わり、春が訪れ…(そして、ちょっと気持ちのいい、ラストシーンへ)

<感想など>

こうして<あらすじ>を書いているだけで、いろんな思いが込み上げてくるのですが、この物語の前では「知に触れることの感動」だのなんだのと書くことが、あまりに野暮ったく感じられるので…やめておきます。

<David Small>
そしてまた、イラストが素晴らしい。
一見、何の変哲もないようですが、物語の中で、登場人物の心の真ん中にあるものをひっつかみ出したような、「まさに」という絵なんです。カルやラークの「表情」しかり、馬に乗ったブック・ウーマンの「姿」しかり…。
それでついつい、いつもよりたくさんの絵を紹介してしまいました。

そう どの絵を載せようかと悩んでいて、ハタと気づいたこと。
この絵本には、ムダな絵が1枚もなく、ムダな文章が1文字すらないっ

それに比べて、私の書く脚本には、なんとムダなギャグの多いことかっ

…いや、それは置いといて

ちなみに、この絵を描いているデイビッド・スモールさんは「コルデコット賞(Caldecott Medal)」(アメリカ児童図書館協会主催)を受賞している画家・作家で、この「That Book Woman」でもクリストファー賞(Christopher Award)を受賞しているそうです。
彼の作品は、他にもいくつか日本語に翻訳されていますので、いずれまた、このコーナーでも紹介したいと思います。
興味のある方は、davidsmallbooks.com で検索してみてください(何だか畏れ多いので、リンクは貼りません)。

<出版人なら…>
それから、私がこの業界に身を置いているからかもしれませんが、本書は、子どもはもちろんながら、大人にも読んでもらいたい、いや、大人こそ読むべき、いやいや、少なくとも出版人は全員が読むべきじゃないかしらん。

私たち全員が、たくさんのカルやラークたちの心を啓くブック・ウーマン(もしくはブック・マン?)だという心意気がなきゃいけないわけで、これはもう、新入社員研修かなんかで全員に読ませるべきじゃないか、ってくらいです。

<背景>
最後に、社会的背景も少しだけ。

1930年代と言えば大恐慌時代、F. ルーズベルト大統領によるニューディール政策が行われている頃です。

本書に登場するブック・ウーマンも、同大統領の「雇用促進事業計画」の一環として行われた「荷馬図書館計画(Pack Horse Library Project)」によって雇用された人たちで、学校や図書館のない地域に本を届けるという文化振興目的と同時に、(多くは)女性に仕事(=収入)を与えようという労働政策としての目的を持って実施されたものです。

彼女たちは、これによって(おそらく薄給だったでしょうが)収入を得ることができたわけですが、しかしそれだけではなく、この物語からは、彼女たちの使命感や誇りが伝わってきます。

<脱線>
 (さっき、最後って言ったのに)思い出すのが、旧ブログでも紹介しました映画「クレイドル・ウィル・ロック(Cradle Will Rock)」。

この背景にあるのも、大恐慌下で失業した舞台関係者たちの救済であると同時に(けっこうリベラルな)文化振興運動としての側面も持っていたフェデラル・シアター・プロジェクト(FTP)でした。

作品中では、クライマックス直前のシーン、FTPが共産主義的であると非難され、劇場閉鎖に追い込まれたプロジェクト責任者のハリー・フラナガン(Hallie Flanagan)女史とそのスタッフが、静かに語り合います。

       *   *   *   *   *

Staff: Well, the plays are written. They're here forever.
Flanagan: Oh, I hope they are.
Federal Theater is going to end.
But theater is going to be better off.
We've launched a ship, a grand and glorious ship.

スタッフ:芝居は文字になり、永遠に残りますよ。
 フラナガン:ええ、そう願うわ。
   フェデラル・シアターは終わるけど、演劇はさらに発展していく。
   私たちは船を送り出したの、大きくて輝かしい船をね。)


そのシーンを思い出すにつけ、名もなきブック・ウーマンたち(Book Women)もまた、大きくて輝かしい船を送り出したんじゃないかなぁ、なんて思うわけです、私は。
(ちなみに作品中、彼女の名前は出ません。それどころか、顔すら(ほとんど)描かれません。これは、明らかに意図してそのように描かれていて、まさに「名もなき」人々なのです。)

いや、長くなりました

タネの紹介:『山川氏の理由』

20120415夜の来訪者

2012年4月15日(日)

いやぁ、公演後、初めて家族とともに休みを過ごしました(っていうか、買い物に付き合わされた)。

いやいや、「付き合わされた」なんて言ってはいけませんでした。本日は快晴の中、浅草橋まで(遅ればせながら)息子の五月人形を買いに行ったのでした。

それでなくても、日頃あまり息子をかまってやっていない私、今日なんて息子をだっこしただけで、嫁さんから「珍しい」と写真を撮られる始末。

「いつか、『お父さんも、ちゃんとだっこしてくれたことあるんだよ』っていうときの証拠になるでしょ。」

どんな父親…って、ま、分が悪いので、さらっと流します

しかし、浅草橋で何が困るかって、そりゃもう、JR浅草橋駅にはエレベーターが(エスカレーターも)ないということ。

したがって、ベビーカーだと非常に不便です。

なぜだっ

これだけ節句人形の店がひしめき合っているというのに、ってことは、幼児を連れた夫婦と、そのスポンサーたる老夫婦が集まってくる駅であるというのに、しかも、あんなに幅の広い階段がある(=スペースはある)のに、なぜエレベーター(せめてエスカレーター)を設置してくれないのか

娘のひな人形を買いに来たときも不便だと感じましたが、あれから何も改善されておらず、いや、改善される雰囲気すら感じさせないのは、むしろ見事っ…か

   *   *   *   *   *

ま、そんな愚痴はさておき、本日のお題は、先日の『見世モノ』で私たちが上演しました「山川氏の理由」のタネ紹介。

「タネ明かし」というほど作品に直結していないのですが、下敷きにした作品をご紹介しようと思います。私どもの演目を楽しんでくださった方もそうでない方も、こちらはどれも優れた作品ですので、ご覧になることを是非お勧めします。

1. 『夜の来訪者』

まず、全体のプロット、ストーリーラインの下敷きになっているのが、冒頭に写真を掲げた『夜の来訪者』プリーストリー作/安藤貞雄訳、岩波文庫、2007年(内村直也版は1952年))です。

舞台はとある実業家の家庭、娘の婚約を祝う団らんの夜に、警部を名乗る男が訪れ、ある貧しい女性が自殺したことを告げる。そして、そこに集う人々すべてが、彼女の死に関わっていることを徐々に暴いていく。ところが、彼が去った後に…

痛烈な社会・人間風刺(批判)であると同時に、ミステリーあるいは不条理劇の要素も持った作品で、プリーストリーの代表作だそうです。

一方、私の作品では、私が演じた「山川さん」の自殺理由を、二宮刑事に触発されながら、小太郎はじめとするTV番組スタッフたちが「再現VTR」の手法を通して解き明かそうとします。

そして、ミステリーの部分は、刑事ではなく山川が負うことになっています。

といった入れ替えをしてはいますが、まぁ、読んでいただければ構図の類似性はすぐに分かると思います。

2. 『女優のブレイクタイム』

次に、場面設定の元ネタは、『10ミニッツ・オールダー』(2002年)というオムニバス映画(DVD2枚)に収録されている「女優のブレイクタイム」(ジム・ジャームッシュ監督)という作品です。

この作品の原題は、「Int. Trailer. Night」。これは映画の脚本における場面設定を示した記述でして、インテリア(=室内)、トレーラー(=ロケ先で控え室代わりになっているトレーラーハウス)、夜、を意味します。

ある女優がロケ先で10分の休憩時間を与えられ、トレーラーハウスで休もうとするのですが、次々とスタッフがやってきて休む暇もなく、また撮影へ…というお話。

で、もはや言う必要もありませんが、「山川氏の理由」も舞台設定はほぼ同じ。ロケ地である高尾山のとある場所に駐車している楽屋代わりのトレーラーハウスの中ですべてが行われています(ただし、時間帯は昼前から夕方まで)。

したがって、ある意味では、「女優のブレイクタイム」の場面設定に「夜の来訪者」のストーリーを乗っけた、とも言えます。

3. 『失われた一万年』

そして、第4章として挿入された小太郎と新助のシーンで、新助が小太郎に語る「ワウワウカワカワ族」の話は、同じく『10ミニッツ・オールダー』に収録されている「失われた一万年」ヴェルナー・ヘルツォーク監督)を元ネタにしています。

これは、ブラジルの奥地で石器時代同様の生活を送っていたウルイウ・ワウワウ族という部族が、白人が持ち込んだウイルスによって壊滅的打撃を受け、生き残った人々も…という話です。

生き残った人々は、何とか現代社会に適応しようとしているのですが、私の作品では、部族名を(なぜか)「ワウワウカワカワ族」とし、単純化のために「風邪で絶滅」したことにしてしまいました。

   *   *   *   *   *

以上です。

なんだ! 小説1本と映画1本だけから作ったのかっ!

と叱られそうですが、ええ、まぁ、そうですf^^;)

ただ、その2本(3作品)を選び出し、結びつけるまでに、いろんなものを見たり読んだりし、またいろんなことを考えてもおりまして、さらにその3作品を結びつけるところに新結合(イノベーション)があるとも言え、それほど「お手軽」というわけではない、…と思っているのですが、ま、それはご判断にお任せします。

いずれにせよ、ここでの趣旨は、どれも面白い、優れた作品ですので、タネ明かしの体裁をとりながら、皆さんにお勧めしたい、ということです。

それでは、また

おすすめ絵本7:ねえだっこして

ねえだっこして

2012年4月11日(水)

先々週は「死」、先週は「老い」を扱いましたので、今週は逆方向へ跳んで「誕生」にします。

◯1ねえ だっこして竹下文子・文 田中清代・絵、2004年5月、金の星社、本体1,300円

<あらすじ>

ねこの「わたし」が だいすきなばしょ。それは おかあさんの おひざ

でも このごろ つまらない。それは おかあさんのおひざに あかちゃんがいるから。

おかあさんは あさも ひるも よるも あかちゃんにかかりっきりで わたしのことは

ちょっと、まってね
あとで

って いうんだ。

いいよ かしてあげる。

だって あかちゃんは 
あるくこともできないし
ごはんもたべられないし
(でも いたずらはするけど

わたしは もう
ひとりで かおも あらえるし
ひとりで ねられるし

だけどさ わたし
あとででいいから
すこしでいいから

だっこして!

<感想など>

<解釈>
本書、実によく読まれているようで、ネット上で少し検索するだけでも、あちこちで紹介されていますが、上記<あらすじ>からも容易に想像がつくように、2種類の解釈があります。

1つめは、文字どおり「ねこ」の気持ちを描いたとするもの。
ねこ(or いぬも?)を飼っている人からすると、その生き生きとした表情を見るにつけ、「たまんないっ!」ものがあるようです。

また、作者の竹下文子さんには、「おてつだいねこ」(金の星社)シリーズなどの作品もありますので、ねこ好きなのかもしれません。

ちなみに、金の星社のHPでも「せつなくてちょっと甘酸っぱいネコの気持ち」を描いていると紹介されていますので、こちらが公式の解釈なのでしょう。

が、もう1つの解釈が成り立ちまして、言うまでもなく(人間の)「お兄ちゃん・お姉ちゃん」の気持ちをねこの目線を通して表現していると考えるもの。

そして、私のように、一方でねこ好きでもなく、他方で娘と息子(赤ん坊)を持つ親にとっては、これはもう、「娘(おねえちゃん)の気持ち」そのままに見えるわけです。

ネット上でざっと検索したかぎり、こうした解釈をとる読者も少なくない(むしろ多い?)ようです。

<解釈>
というわけで、以下、この立場で書き進めていきますと…、

赤ちゃん(弟・妹)の誕生を迎え入れる「新」お兄ちゃん・お姉ちゃんの心境を扱った絵本は他にもたくさんありますが、この作品が秀逸なのは、やはり(逆に?)「ねこ」だから。

「兄・姉的存在」=ねこ 

と置き換えることで登場人物(ねこ)を一段階抽象化させ、赤ちゃんー母親ー兄(姉)の三者間関係をきわめて簡潔にとらえ、本質のみを表現することに成功していると思います(作者の意図は分かりません)。

ちょっと言い換えますと、赤ちゃんは「赤ちゃん的存在」の象徴、お母さんは「母親的存在」の象徴、ねこは「兄・姉的存在」の象徴として、それぞれ個別の名前を持たず、個人的属性を剝ぎ取られた状態で登場するという…なんて言うんでしょう、こういうのを「イデア」とでも呼ぶんでしょうか。

その結果として、三者それぞれの本質的属性と三者間の本質的関係のみが浮かび上がっており、それ以外の属性・情報が削ぎ落とされている、という意味です。

すべての短編作品に言えることなのかもしれませんが、このところ絵本を読み続け(始め)ていて感じることは、細部を削ぎ落とし最重要部分のみに絞り切ることの効果のいかに大きいことか、力強いことか、そして重要なことか(う〜ん)。

その極みが短歌や俳句なのでしょうが、そこまでいかずとも、徹底的に選び抜く、あるいは抽象化する、という作業を通して、自分が描きたいもの、表現したいことの中核にあるものが明確になっていくのだろうと思います。

この点、先の「見世モノ」で規定の30分以内に収める必要から、(不要な)ギャグを次々と削っていた私の作業と(レベルは相当に違いますが)相通じるものがなくもなく…あることにしておいてください

<我が家にて>
さてさて。

我が家でも、娘を私のおひざ(正確には、あぐら)の上に座らせて本書を読んできかせたところ、さすがに娘も自分のことだと思ったらしく、ちょぉっと上目遣いにこちらを見て、

あれ、「だっこぉ」って言っちゃいけないのかな。
あんまり、甘えちゃいけないのかな。
お姉ちゃんだから、我慢しなくちゃいけないのかな。
ええ〜〜〜。


…かどうか分かりませんが、何とも言えないビミョーな顔をしまして、

ああ、ちゃんと分かるんだなぁ。

とまぁ、微笑ましく思ったのでした。

…が、およそ30分後、

ねえぇ〜、だっこしてぇ〜〜

ま、そんなもんですよね。

Moonlight Actors 打ち上げました

20120408打ち上げ

2012年4月8日(日)

どもども、お疲れ様です。

本日は「見世モノ」プレ公演参加ユニット「Moonlight Actors]の打ち上げでした。

なんで、こんなに人が多いのよぉ〜という渋谷はハチ公前に集合。
いやぁ、すごかった。おっさんには、ついて行けませんよ、このノリ。

にもかかわらず()、岩井Pも(発熱を押して)参加してくれました。
関ちゃんも参加予定だったのですが(というより、関ちゃんの都合に合わせて今日に設定したのですが)、撮影の仕事が押しに押して、ついに間に合わず…残念、またの機会を楽しみに待ちましょう

ちなみに、店は(私のプチ・マイブームを反映してかどうだか)渋谷の沖縄系料理屋さん。飲み屋というよりは食堂で、周りがソーキそばを食ってさっさと引き上げるなか、我々のみ(気にせず)5時間近く粘っておりましたそうな

盛り上がった話については、…今後のイベントにもかかわってくるので、ひとまず内緒。

それぞれ、もう次に向かってあれこれあるのですが、またいつか(たぶん、来年早々)共に舞台に立てる日を楽しみにして、お別れにしたいと存じます。

皆さん、本当にありがとうございました

おすすめ絵本6:忘れても好きだよ おばあちゃん!

忘れても好きだよ1

2012年4月4日(水)

前回の「おすすめ絵本」コーナーでは、身近なものの「死」とどう向き合うかというテーマを取り上げましたので、関連して今回は「老い」をテーマとした作品をご紹介します。

忘れても 好きだよ おばあちゃん!ダグマー・H・ミュラー 作 フェレーナ・バルハウス 絵 ささき たづこ 訳、2006年10月20日、あかね書房、本体1,400円(HERBST IM KOPF: Meine Oma Anni hat Alzheimer, by Dagmar H. Hueller, illustrated by Verena Ballhaus, Copyright by Annette Betz Verlag im Verlag Carl Ueberreuter)

<あらすじ>

主人公は女の子「わたし」。

おばあちゃんが歳を取ってきたので、一緒に暮らすことになりました。
おばあちゃんは、アルツハイマー病です。

アルツハイマー病って、見ただけでは分からないものです。
おばあちゃんは、2階の部屋から外を眺めていたり、好きな庭仕事をしたりします。

おばあちゃんは、コーヒーメーカーの使い方をいくら教えてあげても、すぐに忘れてしまいます。
でも、コーヒーの粉にお湯を注ぐやり方は、よく覚えています。

おばあちゃんは、洗濯機の使い方をいくら教えてあげても、どのボタンを押すのか、すぐに忘れてしまいます。
でも、手で洗うやり方はよく覚えていて、わたしにも教えてくれます。

おばあちゃんは、昔、学校の先生だったので、たくさんのことを覚えていました。
でも今は、自分が先生だったことも、思い出せないのです。

あるとき、ママが言いました。

おばあちゃんの今までって、大きい木みたいなものかしらね。

それで、ママとわたしは、おばあちゃんが生まれてから今までを絵にしてみました。

忘れても好きだよ2

おばあちゃんが子どもだったときの絵は、木の下のほうに。
大きくなってからのおばあちゃんの絵は、木の上のほうに。

とても大きくて、立派な木の絵ができました。

ママ「これは、おばあちゃんの人生の木なのね。

でも、どうして、こんな楽しいことまで、ぜんぶ忘れてしまうのでしょう。

ママ「病気のせいなの。おばあちゃんの頭には、秋が来たのね。この絵は、風にふかれた木の葉みたいに、一枚一枚、散ってしまうのよ。



わたしは、おばあちゃんと絵本を読むのが好きです。
パパなら、すぐにページをめくってしまうけど、おばあちゃんは、どの絵もゆっくり眺めます。

わたし「おばあちゃん。このワンちゃん、かわいいねー。」
おばあちゃん「どれ、どれ。ああ、ほんとにかわいいねー。」

そう言って、おばあちゃんは、わたしを抱きしめてくれます。

<感想>

「老い」もまた人間(もちろん、生きとし生けるもの)の普遍的テーマですので、自身の「老い」とどう向き合うか、伴侶の「老い」、親の「老い」、それぞれ多くの作品があります。

絵本や童話の場合は、幼児の目線で描かれますので、当然ながら、おじいちゃんやおばあちゃんの「老い」と孫である自分がどう向き合うか、というアプローチになります。

本書で傑出しているのは、何と言っても、この「人生の木」(あるいは「人生樹」とでも呼びましょうか)。

たくさんの枝葉をつけた色鮮やかな「大きくて立派な木」を描くことは、ごく当たり前に、おばあちゃんの尊厳に対する敬意を生み出します。

「秋が来て、葉が散るように」記憶が失われていくという説明は、大人の私が聞いても、すんなりと納得できるものです。

主人公の「わたし」は、おばあちゃんの素敵なところもやっかいなところ(すぐに忘れてしまったり、急に不機嫌になったり…)も、とても自然に受け入れています。

核家族(我が家もそうです)化が進むと難しいのですが、老いる者(動物も含めて)と共に暮らすというのは、「老いの尊厳」への敬意を育み、そして生きるものすべてが老いる以上、「人生の尊厳」や「生命の尊厳」への敬意を育むのではないか…と思います。


それで思い出しました。
私の義父は半身に障害があって、短距離なら杖をついて、長距離になると車いすで移動します。
一緒に散歩や買い物に出かけると、ウチの娘は、自分の興味や気分でテクテクッと歩いていくのですが、途中まで行くとツイッと振り向き、おじいちゃんたちが後からゆっくりやってくるのを待っています。

その待ち方が何と言いますか、「おじいちゃん、早く〜」でもなく、「おじいちゃんは、待ってあげなきゃいけないから」でもなく、ただフツーに待っていて、あまりの自然さに、わが娘ながら、ちょっとした感動を覚えます。

もっとも、本人は何も考えていないのかもしれませんが。強いて言えば、「動きの遅いものを見て、その動きの遅さを受け入れている」というような…。

でも、その「何も考えずに」とか「ごく当たり前に」っていうのが、けっこう大事じゃないかなぁ、と思います。

もう1つ、思い出したこと。
大学で社会保障を教えている某先生がイギリスに留学したところ、街を歩いていて、やたらと車いすの人々に出会うので、

まあ、イギリスは、何と障害者の多い国だろう

と、驚いたそうな。

しかし、もちろん、そんなわけはなく、イギリスでは障害者専用の駐車場やら、車いす置き場やら、とにかく障害者向けの設備・制度が充実しているので、障害者が気軽に街に出かけられるのだというお話でした。

そして、その数年後、先生の友人であるイギリスの社会保障研究者が日本に来てビックリ。

おお、日本は、何と障害者の少ない国だろう


おすすめ絵本5:ぼくは ねこのバーニーがだいすきだった

ねこのバーニー

2012年4月1日(日)

いやぁ、すっかりサボってしまいました、おすすめ絵本シリーズ。『見世モノ』公演も終わったことですし、シレッと再開したいと思いますf^^;)

本日ご紹介するのは、

◯4ぼくは ねこのバーニーがだいすきだったジュディス・ボーストさく エリック・ブレグバッドえ なかむらたえこやく、1979年、偕成社(The Tenth Good Thing about Barney by Judith Viorst & Erik Blegvad, Atheneum, U.S.A., 1971)

<あらすじ>

主人公は男の子。

金曜日、大好きなねこのバーニーが、しんじゃった。

男の子は、悲しくてテレビも見ず、夕ご飯も食べず、チョコレート・プディングも残し、ベッドに入って泣いた。

土曜日、バーニーを庭に埋めて、お葬式をした。

男の子は、バーニーのいいところを10個、話そうとした。

バーニーは勇敢でした。
りこうで、
ちゃめで、
きれい好きで、…


でも、9個しか思いつかなかった。

男の子は、バーニーが天国に行ったと思った。でも、友達のアニーは、地面の中だと言った。

日曜日、男の子は父さんと庭に種を植えた。

男の子  …だったら、バーニーも花や葉っぱを作る手伝いをするの?
父さん  そうとも。花を咲かせる手伝いもするし、草や木を大きくする手伝いもする。ちっちゃなねこにしては、これはなかなか大したことだよ。

その夜、男の子はベッドで母さんに話してあげた。

バーニーは勇敢でした。
りこうで、
ちゃめで、
きれい好きで、
抱くと、ふわっとやわらかくて…


そして、10個目。

バーニーは、地面の中で花を咲かせる手伝いをしているんだ。ちっちゃなねこにしては、これはなかなか大したことなんだよ。

<感想>

要するに、身近なもの(人であれ、動物であれ)との死別をどのように受け止めるか、というテーマを扱った作品ですね。

ここでは、キリスト教の葬儀で行われるような、死者を悼み、讃えるスピーチがキーアイテム(?)になっているわけですが、仏教でも同様の行為はありますし、私も演劇脚本『火焚ノ娘』で死者を弔う「語り尽くし」というシーンを入れたことがあります。

もちろん、古今東西を問わず、「死」とどう向き合うかというのは人間の普遍的なテーマですので、絵本に限らず「死」を題材とした芸術作品はたくさんあります。

その中で本書が傑出している…というわけでもないのですが、しかし、後味がよく、心に素直に滲み入ってくる理由は何だろうかと考えますと、1つには、

登場する大人(両親)が押し付けがましくない

という点が、間違いなくあると思います。

この物語の中で、両親は徹頭徹尾、付属的・受動的立場にあって、主人公の話を聞いてあげたり、質問に答えたりするだけで、間違っても「バーニーは天国に行ったのよ」なんて言って、なぐさめたりはしないのです。

少年は、あくまで自身で悲しみ、苦しみ、葛藤し、納得のいく答えを(助けは借りますが)自身で見つけていきます。両親は、それを静かに見守るだけ。

ウチの娘は、まだ「死ぬ」ということがよくわかっておらず、この作品はちょっと早いかとも思いますが、いつかは一緒に読みたいと思える絵本です。

あ、ついでながら、このテーマを扱ったもので私が好きな映画作品を紹介しておきます。

喪の仕事」監督:君塚匠、主演:永瀬正敏、1991年、アルゴプロジェクト

君塚監督をブレイクさせた名作です。センスが輝きまくってます。

…いや、ホントにご紹介まで
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