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観劇日誌: 『ふたり芝居』公演

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2018年7月11日(火)

むか〜し、むかしの第2弾。
6月30日(土)、池ちゃんと一緒に濱くんの舞台を観てきました。

正月に優里ちゃんのこちらの舞台を観たでしょ。

そしたら、今度は濱くんが出ることになったんですよ。

『ふたり芝居』公演
演目:「こんな小さなネジか何か」
脚本演出:古賀勝哉
於:ワニズホール(新中野)

       *   *   *

この日は朝から(毎度の)休日出勤。
夕刻に会社を出て、劇場前で池ちゃんと待ち合わせ。
ちょっと早めに入ったので、何かドリンクを注文してもよかったのかもしれませんが、2人揃ってトイレが心配な私たち、冒険は自粛しました(笑)。

で、この公演、2人芝居30分×3本のオムニバス。
(うち1本は、さらに10分×3本のショートショート

最後に出てきた濱くんですが…、

ま、悪くはなかったけどさ。

…濱個人はね。

と、呑み屋で言ったんですが、言い切れなかったことも含めて書くと、

ま、濱くんは、肩の力が抜けた安定感のある演技で、とりあえず、安心して観てられましたけど、

だから、何

と思っちゃったんです。

え、君は観客を安心させるために芝居、演ってんの

心を揺さぶられるものが何もなかったんだけど、それでいいの

でもまあ、それは濱くんが悪いわけじゃなくて、やっぱり本と演出の問題なんですよね。

そんなわけで、この日の感想。

岸田國士って、やっぱ、上手いんだな〜。
(罰当たり発言m(_ _)m

何て言うか、人の心の柔らかい場所を、キュッと締めつけてくるものがありますよね。

あらためて読み直したくなりました。
(まだ読み直してませんけどf^_^;)

       *   *   *

と、そんなことを思いながら小屋を後にし、池ちゃんと中野新橋方面へ。
池ちゃんが目星をつけておいてくれた店が軒並み満席で、それじゃあということで、1本横道に入った地元のみなさん御用達的な大衆焼き鳥屋さんへ。

やっぱり、最初はこういうものが出てきますよね、焼き鳥屋さんなんで。
20180630濱ワニズ2_convert_20180711231753

で、ビールを一杯呑んだ後は、こちらに移るわけです。
20180630濱ワニズ3_convert_20180711231827
以前なら、あと1〜2杯ビールを呑んでから濃いお酒に入っていったんですが、最近はもう、もっぱらハイボールで軽くごまかしてます。

それから焼き物。
20180630濱ワニズ4_convert_20180711231904
もちろん、注文したのはレバーだけじゃないんですけど、絵的にあまり変化がないので割愛。
あ、3本あるのは、ほどなくして濱くんが到着したから。

串もの以外にもアレコレ食べたんですが、1品だけ載せておきましょう。
20180630濱ワニズ5_convert_20180711231931

このお店、鳥唐1号、2号とかって名前がついてて、たぶん、これは1号だったと思います。

       *   *   *

と、ここで濱くんがTime Up。
翌日も本番だったしね。

で、お会計を済ませてお疲れさま…

と解散すべきところ、実はここで池ちゃんに対する私の重大な裏切りが発覚しまして、新たな展開へ…。

       *   *   *

…って、引っ張るほどの続きもないんですが、もう眠いし、もう呑めないし、中途半端だけど、ここでおしまいm(_ _)m


さてさて、この後、池ちゃんと私はどうしたでしょう

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観劇日誌:吉野翼企画 『糸地獄』

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2018年7月10日(火)

観劇日誌を書いてないのが3つ。
で、次は12日(木)に芝居を観に行くもんですから、そうなると4つ。

3つならなんとか、ぁ、しかし、4つとなるとぉ〜
(かつての私の名台詞

というわけで、負債を減らすべく、まずは1つ。

   *   *   *   *   *

むか〜し、むかしの6月23日(土)に、こちらを観てきました。

吉野翼企画 『野外劇 新譚 糸地獄』
原作:岸田理生
脚色・構成・演出:吉野翼
於:西戸山野外円形劇場(シェイクスピアアレイ)

えっとですね、岸田理生さんを忍んでリオフェスというイベントが行われてまして、今年はその12回目だそうです。
で、理生LOVEなYUKIさんが出演される(彼女はかつて岸田事務所+楽天団の『糸地獄』にも出演)ので、観に行ってきました。

私もYUKIさんに洗脳されて、岸田理生の脚本やエッセイ集を少しずつ買い集めてきたので、ようやく舞台を観られると、楽しみにしてました。

       *   *   *

が、雨。

朝から雨。
かなりの雨。
小学校の運動会だったら、ぜったい中止になってるくらいの雨。
天気予報は夜も雨。

でも、もしもってことも、あるよな〜。

と、仕方なく、朝一番で雨合羽を購入してから休日出勤。
20180623糸地獄3_convert_20180710224626

土砂降りに堪えながら観ることを想定して、ちょっと奮発しちゃいました。

       *   *   *

で、夕刻。
仕事を終えて会社を出ると、やはり雨。
っていうか、もっと雨。

ホントに演るんですかね〜

と、しはかたさんにメール。すると、

フツーに受付が出てると思いますんで。

マジですかぁ。

YUKIさんから「混む」と聞かされていたので、整理券が発行される直前の17:50に会場着。

と、

行列

え、つまり、何ですか。
この雨のなかで野外演劇を観るために整理券発行前から並んでるんですか、アンタがたは

頭、おかしいんじゃないんですか
(お前もな

       *   *   *

18時が過ぎて受付開始。

整理券を受け取ると、屋根のある場所に移動して、皆さん、合羽を装着。
開場を待ちます。
2階から開場を見下ろすと、こんな感じ。

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舞台と客席を逆にしようという趣向。
ムシロのようなものが敷いてある場所に、女郎たちが陣取るわけです。

       *   *   *

そして、いよいよ開場。
傘を閉じて順に入場。
すると、先立って板(っていうか石)についてた女郎さんたちが「いらっしゃ〜い」。
女郎屋に招き入れるという趣向。

しばらくは雨に打たれ、「これ、マジ辛いんですけど(でも、女優さんたちは、もっと辛いよな)」なんて思ってたんですが、徐々に雨が小降りになってきて、雲の流れが見えるようになり…、

物語が始まる頃には、霧雨に。

これはこれで、雰囲気あるかも。
(寒いけどね…女優さんたちは、もっと寒いけどね)

そして、母親たち(YUKIさん曰く「四婆」)が記憶を語り始めると、いつしか雨が止み、

クライマックスを迎える頃には、とうとう月が姿を現しました。

雲の切れ間からこぼれ落ちる月明かり、松明、そして街灯に照らされたラストシーン、狙ったってそうそう叶うもんじゃありません。

最初は辛かったけど、けっこういいもん観せてもらいました。

       *   *   *

観劇後は、しはかたさん&YUKIさんのお友達2人とで新大久保の山ちゃんへ。
手羽を食いました。

   *   *   *   *   *

なんか、体験談だけで感想を書いてないんですけどf^_^;)、もう疲れてきたし、YUKIさんには早々に(酔っぱらって)長い感想を送ったし、ま、こんな感じでm(_ _)m

いや、でも、おもしろかったですよ。
来年も、しはかたさんに教えてもらって、参加ユニットのどれかは観に行きたいなぁと思いました。



観劇日誌:桟敷童子 『翼の卵』ほか

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2018年6月10日(日)

異動して1か月あまり。
以前にやっていた仕事をそのまま抱えながら新しい仕事を受け持つことになり、なんだか、とっても首が回らない…、

というか、

公私全方位から、さまざまな要求やらお願いやら激励やらトラブルやらが飛び込んできて、

私って、何をする人なんだろう…

なんて、軽く identity が破裂してしまった今日この頃、

皆さん、いかがお過ごしでしょうか

お久しぶりの本間宗南ですm(_ _)m

   *   *   *   *   *

いやまぁ、identity なんか散り散り薔薇薔薇になったって、刹那的には生きていけるんですけど、

何が困るって、何とか時間をこじ開けて芝居を観に行っても、

その後にじっくり考えて感想を書く時間まではつくれないってこと(T_T)

とこう愚痴ってるうち、ふと気づくと3本溜まっちゃってたので、チョロっとだけ記録を残しておきます。

       *   *   *

その1 5月2日(水)
アンミカ:『unravel』
脚本:菊川はる
脚色:若宮亮
演出:私オム
於:新宿村Live(新宿)

鳥羽まなみちゃんが出演されるということで、久々に新宿村へ行きました。

だいぶん記憶が薄れてきていますが、なんか、テレビドラマみたいな印象で、30分番組…じゃキツいかもしれませんが、前後編ってことにして2週に分ければイケるんじゃないかなぁとか。

各シーンにセットがあって、表情をアップでとらえて…とやれば、テンポも見栄えもよくなるんじゃないか、というか、これを作った人たちのベースにある感性がテレビなんじゃないかなと、ふと、そんな気がしました。

あと、記録に残っているのは、こちら。

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そう言えば、この日、岩井さんとジャックが三丁目のほうで別の舞台(ボス村松さんの客演だったか)を観ていて、どうせだからと、例の「きいろいはな」で一緒に呑んだのでした。
(写真は、例のサラダと餃子とゴーヤシンプル)

       *   *   *

その2 5月31日(木)
Sky Theater Project:『エンゼルウイング シングルウイングス』
脚本・演出:四方田直樹
於:駅前劇場(下北沢)

滝澤千恵さん笠兼三さんの出演された舞台。
お二人の芝居は、サムライナンバーナインで観たことがある、というだけだったんですが、その後もお名前だけは(岩井さんから)折々に聞いていて、今回はその岩井さんに誘われて観に行きました。

Sky Theater Projectは、滝澤さんの所属する劇団、笠さんは客演で、今回は久々の舞台(映像中心なので)だそうです。

で、こちらは(上記との対比で言うと)映画向きなのかな、と。

というのも、中盤はそれなりに楽しめたんですが、序盤がやけにモタつき、終盤がいささか物足りず。
何でかなぁと考えているうちに、「これ、映画だったらスイスイ行けたんじゃない」という気になりまして。

当作品、パラレルワールド的な設定で、2人の夏子が互いのシチュエーションを行き交うんですが、実はその切っ掛けとしての地震は不要で(もとより私見ですが)、亡き父(母)の遺物が勝手に壊れれば十分、という以上に、そのほうがspeedy。

登場人物たち(&観客)が設定を理解したり受け入れたりするための説明と描写もザクザク削って構わなくて、その分、主題である「私と家族と成長のおはなし」をたっぷり書いてほしかったなあと。

映画向きと言うと語弊があるかもしれませんが、舞台であることがハンデになっているような、映画だったら周辺的な部分にこれほどエネルギーを割かなくても済んだだろうにな…、なんて感じてました。

ちなみに、観劇後は初日打ち上げにお邪魔させていただいたんですが、写真を撮っていないので、代わりにこちらを。

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なんと、下北沢駅の南口改札が閉鎖されていたのでしたっ

何が起こっているのか理解できなかった私は、「あれ、なんで南口に辿り着かないんだろう」と困惑しながら駅構内を一周。

おまけに、「ええいっ、駅の周りをグルッと1周すれば、いつかは南口にたどり着けるはず」と、出たこともない改札を出て、見事にグルッと回って(逆向きに回ればスグだったんじゃねーの)ようやく駅前劇場の前に辿り着き、フッと振り返って

ない〜

と仰天したので撮った写真がなわけです。

改札を出て、すぐに入れるから駅前劇場だったんじゃないでしょうか。

これじゃ、駅後劇場とか、駅近劇場とか、駅傍劇場とか、駅寄り劇場とか…

ま、ともかく困るんで、さっさと南口を復活させてくださいm(_ _)m


       *   *   *

その3 6月6日(水)
劇団桟敷童子:『翼の卵』
作:サジキドウジ
演出:東憲司
於:すみだパークスタジオ 倉(墨田区)

もう疲れてきたんですが、あと1つだけ。

私、ぜんぜん存じ上げなかったんですが、しはかたさん方々ご縁があって、私もお声掛けいただいたので便乗しちゃいました。

で、

こちらは、演劇的、実に演劇的でした(笑)。

何でも、かつて唐組と新宿梁山泊の若手同士が合体して出来た劇団だそうで、やっぱりそっち系統なんですが(どっちだ)、舞台のおもしろさ、楽しさがビシバシ伝わってくるパフォーマンスで、気持ちよ〜く泣けて、

暗転の都度ササッと涙をぬぐい、「さあ来いっ」と背筋を伸ばして次のシーンを迎え撃つような(撃ちませんが)、

ああ、こうやって思い出しながら書いていてもニヤケてしまう(笑)。
(私、ニヤケてます、なう)

さて、芝居が跳ねて雨降る通りへと出ると、葉月さんとマリモ君、そしてタバコを吸い終わった岩井さんとしはかたさん。
一団となって駅前の居酒屋に入ったんですが、そこへ同劇団の川原洋子さんが顔を出してくれました。

川原さんは、しはかたさんと以前からのお知り合い、おまけに葉月さんとはサイマルで共演された仲なのだそうな。

ついでに、追って演出の東さんが入ってきて近くのテーブルへ。なぜかマリモ君がご挨拶に行き、何かと思ったら「僕は東さんの(自称)弟子です」。
(あくまで、「自称」だそうです(笑)。ま、たしかにrespectは半端無かったですが)

皆さん、そんなご関係でしたか。
まったく存じ上げず、大変失礼致しましたm(_ _)m

で、川原さんからいただいたお土産。
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柿ピー他おつまみセット。

さすが。

よく、チョコとかキャンディとか可愛らしい小物とかをくださる女優さんはいますが、柿ピーですよ(笑)。

なので、帰り道のコンビニで初めて見つけた「氷結すもも」を買い、26時頃までダラダラ呑んでましたとさ。

川原さん、始めまして&ありがとうございましたm(_ _)m

   *   *   *   *   *

いえね、何がテレビ向きで、あるいは映画向きで、はたまた舞台向きで…なんて一概には言えませんし、1つの優れたコンテンツが多チャネルに展開されまくる昨今、「向き」なんて発想自体が古いようにも思いますが、

とはいえ、各チャネルの特性・特長を上手に使う必要はあるだろうと思うんです。

言い方を変えると、

「なぜ自分は舞台という表現方法を選択しているんだろう」とか、
「テレビや映画より(かなり)高い金を払って観に来てくれるお客さんに、何を観せればいいんだろう」とか、
あるいは自分が客として「これ、わざわざ劇場で観たいかな」とか、

いろいろ我が事として考えるときもありまして、わりかし、それが観劇時の喜びや不満にも影響しているような…、

そんな気になるんですよね。


もちろん、答えはまだないんですけどf^_^;)


観劇日誌:楽天団 『ハムレットマシーン』

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2018年4月22日(日)

さあ、(予定では)4月最後の観劇日誌をなんとか今日中にupしたいと思いますが、仕上げられるか…。

っていうか、あまりに長く書くから1本の感想に1週間以上かかってしまうわけで、もっと軽〜く書けばいいんですよねf^_^;)

   *   *   *   *   *

先日、サイマルさんの『ハムレットマシーン』を観ましたが、その翌週11日(水)には同フェスに参加されているYUKIさんが出演される、こちらの舞台を観てきました。

楽天団 『ハムレットマシーン』
原作:ハイナー・ミュラー
構成・演出:長堀博士
於:d-倉庫(日暮里)

またもやネタバレ必至  ご注意をm(_ _)m

       *   *   *

列車から降り立った一人の男。
「劇団の方ですか」と話しかけてきた女に強引に連れられ、寂れた劇場の舞台(私の勝手な想像)へ。

プリンタから吐き出され、乱れ散る脚本。

その1枚を拾い上げ、ト書きを読む女、

現れては消える女優たちとともに、
『ハムレットマシーン』を演じる男、

彼の名は、ハムレット(たぶん)。

もう1段階、メタな仕掛けが用意されているんですが、あまり興味を惹かれなかったので割愛。

       *   *   *

前回同様に演出ノートも参考にしますと…、

デンマーク王子ハムレットを単なる一俳優(かつてハムレットであった男、しかし今はハムレットであることをやめてしまった男)に貶めることで時代を超越させ、とある時代の、とある場所に降り立たせる、という趣向かと。

演出家の長堀氏は、これを、死に損ねて「現代まで生き残」った「アフターハムレットの物語」と読み解きます。

       *   *   *

この長堀氏の「演出ノート」を読んで、けっこう、似たようなことを考えてるな〜、というのが最初の印象でした。

『自伝』を読むと、ハイナー・ミュラー自身は、当時の東欧(とくにハンガリー、ブルガリア、そして東ドイツ)の政治状況を『ハムレット』に投影すること…すなわち、権力闘争に敗れ、処刑(粛正)された男の息子の物語として『ハムレット』を再構築しようとしていたらしいんですが、それこそ当時の政治状況のなかでそんなことができるわけもなく、

そのうちストーリーが解体され、対話が消失し、彼曰く「干し首」のごとく残ったものが、この『ハムレットマシーン』(以下、『HM』)だったようです。

ならば、ここから新たな『ハムレット』を再構築したい…

多少なりとも物語を書く者なら、ついつい夢想してしまうと思うんですよね。

だから、長堀氏の「最初、…ハムレットマシーンのテキストを使わずに、シェイクスピアのハムレットを上演し…」というのは、発想の方向としては、けっこう共感するものがあるんです。
(もっとも、彼は「稽古に入ってすぐボツに」したそうですが)

       *   *   *

ただし、好き勝手に再構築するなら『HM』は不要なわけで、その精神や感性、視角は少しでも吸収したい。

となると、ポイントがいくつかあって(まだ、整理できてないんですが)…、

少なくとも、第1に、やはり政治的な社会状況への視線を無視するわけにはいかないと思うんです。

この点、サイマルの赤井さんは、オースターの『最後の物たちの国で』を持ち出すことで、絶望と暴力と無秩序の国を登場させ、その最後に1945年8月の日本を重ねました(たぶん、ですが)。

現代の日本に生きる私が『HM』から新たな物語を構築するとなれば、やはり現代日本の政治状況を私なりに受け止め、提示するくらいの野心がなければダメだと思ってます。
(具体的な時代・場所の設定はいくらでも変えていいと思うんですが、そこに現代日本を重ねるべき、という意味です)

そして第2に、その状況の下で、

たとえば、「敵」とは何か…ハムレットは何と闘わねばならないのか、とか、

たとえば、「罪」とは何か…ガートルードなり、オフィーリアなり、いかなる罪を背負っているのか、彼女たちは何ゆえに罪深い存在なのか、とか、

社会的、あるいは内省的な課題それぞれに自分なりの答えを持たないと、物語が成立しないだろうな…、

なんて考えて、

でも、もちろん、そんな見識も意見も持ち合わせていない私としては、「遠い未来の目標」とせざるをえません(笑)。

       *   *   *

で、自分のことを棚に上げつつ、そんな気分だけを胸に今回の上演を(あくまで私の関心から)振り返ってみると、

登場人物が背負っている問題(ここは女優たちが担っていますが)が、あまりに「私」的領域における「個」人的問題すぎて、

う〜ん、世界が「閉じて」るな〜。

と思ってしまいました。

       *   *   *

というわけで、観劇後、YUKIさん&その超美人なご友人2人と呑みに行って、いきなり感想を聞かれたときには、つい、

え〜と、中くらい、おもしろかったです。

と答えてしまいました(笑)。

   *   *   *   *   *

おっと、そろそろ風呂を沸かさなければなりません。

なんて、どーにでもなる言い訳をして、中途半端ではありますが、感想を切り上げたいと思いますm(_ _)m


観劇日誌:劇団enji 『Be My Baby』

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2018年4月18日(水)

重たい芝居は感想を書くのも体力いるんで、upまでについつい時間がかかってしまいます。
で、時間がかかると、いろいろ思うことが増えてきて、どんどん長くなっていきます。
となると、upするのも、さらに遅くなっていきます。
が、そんなことを言ってると、いつまで経っても終わらないので、今日、仕上げたいと思います。

   *   *   *   *   *

このところ何回か観ているenjiさん、今回もスーさんこと鈴木浩之さんが出演されているので、去る6日(金)に観てきました。
(ずいぶん経っちゃったな〜f^_^;)

劇団enji 『Be My Baby』
作・演出:谷藤太
於:吉祥寺シアター(吉祥寺)

       *   *   *

座席について、まず思ったこと。

セットがデカイ

中央に石段。この存在が圧倒的。
登って上手寄りに鳥居。これもデカイ。
そのさらに上手には社があると思われるものの、地階から生えている木(これもデカイ)に遮られている格好。
上手端に産婦人科の看板がかかっており、袖の向こうに病院がある体。
下手側には団子屋。手前に緋色の毛氈を敷いた床几(縁台)、端にはタヌキ(雌雄)の置き物。

前回「イタイ☆ホテル」を観たときは、舞台がむしろ低く切り取られている印象だったので、さほど広いと感じなかったのですが、この空間をタッパいっぱい埋めるのはホントに大変だなと、ポケ〜ッと口を開けて眺めておりました。

当パンには「〜舞台が組まれる、といきたいが、勝手には組んでくれないので自分たちでフラフラになって組む」との文。
終演後にはスーさんも腰をさすりさすり「もう、ヘトヘトだよ。アレをまたバラスんだぜ」と苦笑い。

       *   *   *

以降、どちらかと言えば「感想を聞かせろ」という方々向けに書いている関係上ネタバレがあるので、「再演を観たいから、ストーリーもオチも知りたくない」という方はご遠慮くださいm(_ _)m

             

では。

Babyときて、神社があって、病院があれば、何となく妊娠・出産の話かなと想像がつくわけですが、しかし、ふんわりほんわかとは観させてくれません。

のっけから不妊で悩む夫婦のイザコザ。

一方では、ワケありっぽい妊婦が出産間近のお腹を抱えてヤケクソ気味に石段を上り下り。

ああ、要するに、望んで授からない夫婦と、望まずにデキちゃった母親の構図ね…

と早合点していたら、それでは終わらないのがenjiさんの芝居、

この両者を「特別養子縁組」で結んじゃおうってんだから、何ともエグイ

つまり、「手放す」側と「受け取る」側にしちゃうわけで、しかも両者を早々に引き合わせちゃうんだから、これってけっこうな修羅場。

いや、実にエグイッ

…ここまで追い込まなきゃいけないのか。

素直に関心しました。

非現実的で極端な設定を作らなくても、
これほど日常的な、そこの角を曲がったら出くわしそうな空間のなかで、
これだけ究極の選択を強いるような状況が生み出されるんだな、と。

       *   *   *

しかし、ですね。

設定はスゴいと思ったんですが、序盤から中盤にかけて、どうにもおもしろくない。

なんだろう、このeccentricな登場人物たちは。
一方では、まるで「ピーターパン」でも演ってるかのように、ふわふわ宙に浮かんでる感じの人たちがいて、
他方では、コミカルにやろうとしているのか、でも逆に力んじゃってる人たちがいて。

何のために、この日常的な空間が用意されているのか
あるいは、演出家さんに「テーマが重いから、演技は深刻にならないように」なんて言われて、こうなっちゃったのかな

もっと、肩の力を抜いて演ればいいのに。

私は稽古場で問題が生じると、つい本を直したくなって(=本で解決したくなって)、でも、いつか読んだ「それは演出の仕事ではない。本を直したいなら脚本家になれ」という言葉を思い出して、「ダメだ、稽古場で解決しなきゃ」なんて思い返すんですが、

いや、これは本のせいじゃない。

う〜ん、役者さんたち、消化できてないのかな

なかでも一番気になったのが、主役の団子屋の奥さん(主役だと思うんですけど)、こんないい役なのに、なんでそんな、脇っぽい、影の薄い芝居をするんだろう…。

私に言わせれば、主役というのは、その物語のなかで最も成長する人、変化する人であって、たとえ名台詞や決め台詞がなくたって、周囲の色と輝きを吸収して自分がカラフルに輝けばいいと思うんですけど…、

人を輝かせるシーンはあっても、自分が光らない。
自分の成長を噛みしめてほしかったな…
いや、自分が主役だと思ってないんだろうな、きっと。

半面、一歩一歩踏みしめながら忍耐強く前に進む団子屋のご主人と、ヒタリヒタリと内省を続ける妊婦さんとに、私は共感を持ちました。
(しかし、この2人は主役じゃないと、私は強く思うわけですが)

       *   *   *

てな感じでですね、ブツブツ(心の中で)文句を言いながら、観たり俯いたりしてたんですが…、

でもね、やっぱり最後は、もっていくわけです。

今回は2段構え、いや3段構えとでも言いましょうか。

その1 妊婦さん
子を手放すと決めた彼女、お腹の子を愛さないように、感情を持たないようにと、努めて心を空っぽにします。
しかし、予定日を過ぎても、赤ちゃんは生まれてこない。

そんなとき、団子屋の奥さん(以下、略して「団子奥さん」)に言われます。

「生まれる側の気持ちになってみて」

赤ちゃんは、どんなときに「生まれたいっ」と思うのか

そして妊婦さんは、団子奥さんに促されて石段をゆっくり登りながら、胎児と過ごした十月十日(余)を回想し、「産む者」のみが知ることのできる幸福を体験し、生まれ来る者に対して、ついに、こう語りかけるのです。

「出ておいで〜

その2 団子屋のご主人
子どもを受け取る当日、いまだに詰問する義父に、ご主人がこれまでの葛藤を吐露します。

もらうと決めた後も、心が揺れ続けたこと、そして、
前日、病院で赤ん坊と面会し、初めて決心がついたこと。

そのときの様子を、ご主人は語ります。

…顔を見たとたん、彼女(団子奥さん)が、「あ、この子だ」って言ったんです。
実は僕も、「ああ、この子だ」って思いました。
そして理解したんです。
僕たちに子どもができなかったのは、この子に出逢うためだったんだと。

そして、その場に膝を折り、地に額を擦り付けんばかりに深々と頭を垂れるのです。

お義父さん、どうか、この養子縁組を認めてくださいm(_ _)m

       *   *   *

ああ、これがあったのか。
作家さんは、このシーンを用意していたんだ。

このシーンに辿り着くのだという<目的の地>があるからこそ、この物語は前に進むことができるんだ、

と(勝手に、ですが)とても納得しました。

       *   *   *

そして、
その3 妊婦さん再び(ホントは団子奥さんと言いたい
赤ん坊を迎え、大賑わいの団子屋夫婦&奥さんの両親、
一方の(元)妊婦さんは両親に付き添われて退院。

が、ほんの一瞬の隙をついて、(元)妊婦さんは団子屋に忍び込み、赤ん坊のベッドへ。
出て来るときには、ボストンバッグを縦に抱え、まるで中に何かが入っているような…

直後に、「赤ちゃんがいないっ」の声、そしてパニック。
しかし、赤ちゃんは無事で、実はあんなに文句を言っていた義父が抱いてあやしていただけでした。

もちろん、これは見え透いたフェイント。
「生まれる側」の目線を手にした(元)妊婦さんに、その行動はありえない。

では、彼女は赤ん坊のベッドで何をしていたのか
(言い換えると、何のために、このフェイントを入れているのか

看護師が一通の手紙に気づき、読み上げます。
それは、(元)妊婦さんが団子屋夫婦に託した、子どもへの言葉。

当然じゃないですか。
繰り返しますが、彼女はすでに「生まれる側」の目線を手にしたのです。
ならば、この子が将来、何に直面するか、どんな苦しみを味わうのか、そして、それを乗り越えるためには何が必要かと、必ず想いが及ぶはずなんです。

だからこそ、彼女は手紙を書いたのです。
自分のためではなく、この子のために。

とても納得しました。
たしかにそうだ、と私も思いました。


でもね〜


これで終わっていいのか


否、と私は主張したい。

これじゃ、団子奥さんは母親になれないですよ。

       *   *   *

もう一度、手紙を読むシーンを振り返りましょう。

中央に看護師、石段に座って手紙を読む。
上手の木の陰には逃げそびれた(元)妊婦さん、様子を見守る。

私としては、ここで是非とも団子奥さんにフィーチャーしてほしかった。

たとえば、ですよ、超ベタかもしれませんが、

団子奥さん、看護師のやや下手に立ち、手紙を読む看護師を見つめる。
(=団子奥さんから(元)妊婦さんは見えていないけど、観客からは両者が対峙しているように見える)

手紙の意味を理解した団子奥さん、看護師の手からそっと手紙をとり、続きを朗読する。

読みながら静かに跪き、読み終えると手紙を胸に抱き、深く深く頭を垂れる。

このすべてを引き受けました、と。

…つまりですね、この手紙は2人の母親の「引き継ぎの儀式」のための道具であって、
このシーンは、産みの母が子と離別する儀式であると同時に、
その産みの母の想いをたしかに引き受け、すべてを背負う覚悟を持つための、
いわば、育ての母が「母」になるための儀式でもある(むしろ、主題から言えば、そちらがメインな)わけです。

顔を上げ、ゆっくり立ち上がった団子奥さんの表情は、見違えるほどに輝いています。
まるで、十月十日を胎児と過ごし、腹を痛めて産んだという自信と幸福感を手に入れたかのよう。

そう、とっても大事なポイントなんですが、子を産み終えた母親は、自信と達成感に満ちあふれ、輝いているんですよ。
それを彼女は継承しなければならない、母となる以上は。

そして赤ん坊の元気な泣き声、

駆け寄る人々、堂々と赤ん坊を抱く団子奥さん、静かに去っていく(元)妊婦さん。


…だってね、これは(少なくとも、その主題は)、

「産んだ女が、母をやめる」話でもなければ、
「産めない女の夫が、父になる」話でもなく、

どう考えても、やっぱり、

産めない女が、母になる」物語なんだから。


ああ、やっと終わりましたm(_ _)m


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